意味
「下手の考え休むに似たり(へたのかんがえやすむににたり)」は、未熟な者がいくら時間をかけて考えても、結局は良い案が浮かばず何もせず休んでいるのと同じであるという意味です。
語源・由来
江戸時代の滑稽本『浮世風呂』(1809年)などに用例が見られます。
囲碁や将棋の世界において、技術の劣る者が盤面に向かっていくら長考しても、結局は良い手を思いつくことができず、ただぼんやりと休んでいるのと同じであるという様子を揶揄した教えが、一般の思考能力にも転用されて定着しました。
使い方・例文
「下手の考え休むに似たり」は、自分自身の非効率な長考を自嘲したり、知識不足のまま悩み続けている状態を反省したりする場面で使われます。
- 知識がないまま一人で悩むのは、下手の考え休むに似たりだ。
- 故障した家電を前に腕組みをしても、下手の考え休むに似たりだ。
- 下手の考え休むに似たりなので、専門家に相談しよう。
類義語・関連語
「下手の考え休むに似たり」と似た意味を持つ言葉には、以下のものがあります。
- 馬鹿の考え休むに似たり(ばかのかんがえやすむににたり):
「下手」を「馬鹿」に置き換えた異形で、より手厳しい言い方。 - 下手の長考休むに似たり(へたのちょうこうやすむににたり):
囲碁や将棋における本来の情景を直接的に表現した言葉で、未熟な者が長く考え込む無駄な時間。
対義語
「下手の考え休むに似たり」と反対の意味を持つ言葉には、以下のものがあります。
- 三人寄れば文殊の知恵(さんにんよればもんじゅのちえ):
凡人であっても、三人集まって相談すれば、知恵を司る文殊菩薩のような素晴らしい案が出ること。 - 念には念を入れよ(ねんにはねんをいれよ):
すでに安全や確実と思える事柄であっても、さらに時間をかけて注意深く検討し確認を重ねるべきこと。
長考する相手を急かす皮肉だった
「長考」とは、囲碁や将棋で一手を長い時間かけて考えることです。
明治の落語「将棋の殿様」(禽語楼小さんの口演、1889年)では、将棋好きの殿様が「下手の考え休むに似たりということが有るが、戦争を致すにそう一々首を傾けて居ては勝つことが出来んわ」と言って、考え込む家来をせかします。

銭湯に集まる町人のおしゃべりを描いた江戸時代の滑稽本『浮世風呂』(式亭三馬作)でも、二階で将棋を指す客が「サアサア早くしねへか。下手の考休むに似たりだ」と相手をせかしています。
もとは、長考する相手への軽い皮肉として使われていた言葉です。











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