意味
「浅学非才」とは、学問が浅く、これといった才能もないと自分を控えめに言う四字熟語です。
あいさつや文章の書き出しで「浅学非才の身ではありますが」のように使い、自分をへりくだっていう語であって、他人を評するための言葉ではありません。
構成要素は、以下のように分解できます。
- 浅学(せんがく):学問や知識が未熟なこと。
- 非才(ひさい):才能が乏しいこと。
語源・由来
「浅学非才」は、古くから別々に使われてきた二つの言葉を並べた四字熟語です。
「浅学」も「非才」も、それぞれ一語で自分のことをへりくだるのに使われてきた言葉です。
四字を並べた形は、芳賀矢一の『国文学読本』(1890年)の序に「編者の浅学菲才なる」として登場します。
明治以降はあいさつや文章の決まり文句として広まり、太宰治の『虚構の春』(1936年)にも「とにかく、浅学菲才の僕であります」と出てきます。
使い方・例文
「浅学非才」は、自分の力不足を先に断ったうえで役目を引き受ける場面で使われます。
- 浅学非才の身ではございますが、全力で務めてまいります。
- 浅学非才ゆえ、皆さまのご指導とご鞭撻をお願いいたします。
- 会長は浅学非才と述べたが、その実績は誰もが認めている。
使うときの注意
自分以外には使わない
「浅学非才」は自分をへりくだる言葉なので、他人の学識や能力を評する言葉としては使いません。
相手に向けて使うと、へりくだりではなく相手をおとしめる言い方になってしまいます。
「非才」と「菲才」
「浅学非才」は「浅学菲才」とも書きます。
ただし「菲」は常用漢字表にない字です。
現在の文章では「非才」の形が使われます。
対義語
「浅学非才」と反対に、学識の広さと才能の豊かさをあわせ持つことをいう言葉があります。
- 博学多才(はくがくたさい):
広くいろいろな学問に通じていて、才能も豊かなこと。
「菲才浅学」と並びが逆だったころ
明治のころには、二つの語の順序が今と逆の形も書かれていました。
森鴎外の『懇親会』(1909年)には「僕菲才浅学なりと雖」とあり、自分は菲才浅学ではあるけれども、と断る書き出しになっています。
「浅学」と「非才」はそれぞれ独立した熟語で、どちらも一語だけで自分をへりくだる意味を持ちます。
並べる順序に決まりがなかったため、明治期の文章には両方の並びが見られます。









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