「恋の山には孔子の倒れ」(こいのやまにはくじのたおれ)。
普段は真面目で冷静な人が、恋愛となると理性を失い、思わぬ失敗をしてしまう。そんな状況を、昔の人は聖人・孔子を引き合いに出して表現しました。
意味・教訓
「恋の山には孔子の倒れ」とは、どんなに学識が高く立派な人であっても、恋の道では迷い、過ちを犯すことがあるというたとえです。
- 恋の山:
恋というものの険しさ、乗り越えることの難しさを「山」に例えた表現。 - 孔子の倒れ:
儒教の祖である「孔子」のような聖人でさえも、道につまずいて倒れる(失敗する)ことがある、という意味。
もともとは「孔子の倒れ(くじのたおれ)」だけで「聖人でも失敗する」という意味でしたが、そこに「恋の山」を冠することで、「恋の難しさには、あの聖人君子もお手上げだ」という強調表現として使われます。
「孔子」の読み方について
「孔子」は、現代では「こうし」と読みますが、この言葉が生まれた平安時代や、慣用句としては「くじ」と読むのが伝統的です。(※どちらで読んでも間違いではありません)
語源・由来
この言葉の出典は、紫式部の『源氏物語』です。
『源氏物語』での冷やかし
物語の第二十四帖「胡蝶(こちょう)」の巻で登場します。
当時、「右大将」という非常に真面目で堅物な人物がいました。
彼は普段、色恋沙汰には無関心な態度をとっていましたが、あるとき「玉鬘(たまかずら)」という女性に心を奪われ、ひどく思い悩みます。
その様子を見た主人公・光源氏が、「あの真面目な男が、恋の山で孔子が倒れるように、すっかり参っているようだ」と、可笑しがって言ったセリフが由来とされています。
「孔子の倒れ」の元ネタ
そもそも、なぜ孔子が倒れると言われたのでしょうか。
これは『荘子』などの書物にある、孔子が「盗跖(とうせき)」という大盗賊を説得しに行って、逆にやり込められ、這々の体で逃げ帰ったという逸話(伝説)に基づいています。
当時の人々は、この「孔子の失敗(論戦での敗北)」のエピソードを知っており、それを「恋の失敗」に置き換えて、ウィットに富んだ比喩として使ったのです。
使い方・例文
「恋の山には孔子の倒れ」は、主に「堅物の意外な乱れ」を指して使われます。
- 真面目な優等生が、恋をして勉強が手につかなくなったとき。
- 厳しい上司や先生が、恋愛問題で理性を失っているとき。
- 分別ある大人が、恋にのめり込んで周りが見えなくなっているとき。
例文
- あんなに冷静沈着な彼が、彼女のこととなると仕事も手につかないなんて。まさに「恋の山には孔子の倒れ」だ。
- 「恋の山には孔子の倒れ」と言うけれど、あの頑固な先生が恋煩いで寝込むとは驚きだ。
- 普段は論理的な部長も、奥さんへのプロポーズでは相当なドジを踏んだらしい。「恋の山には孔子の倒れ」とはこのことか。
文学作品での使用例
『源氏物語』(紫式部)
「胡蝶」の巻より。光源氏が、玉鬘への恋に悩む右大将の様子を評して言う場面。
げに、まめやかにことことしきさましたる人の、恋の山には孔子(くじ)の倒れ、まねびつべきけしきに愁へたるも
(現代語訳:なるほど、実直で仰々しい態度の人が、「孔子のような聖人でも恋の山では倒れる」という言葉を地で行くような様子で嘆いているのも…)
類義語・関連語
「恋の山には孔子の倒れ」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 英雄色を好む(えいゆういろをこのむ):
英雄と呼ばれるような優れた人物は、精力的で情熱があるため、女色を好む傾向があるということ。(※「孔子の倒れ」が失敗を強調するのに対し、こちらは活力の現れとして肯定的に捉える場合もある) - 孔子の倒れ(くじのたおれ):
聖人でも失敗することのたとえ。
「弘法にも筆の誤り」「猿も木から落ちる」と同義だが、こちらは特に「道徳的・人格的な失敗」や「恋の失敗」の文脈で使われやすい。 - 恋は思案の外(こいはしあんのほか):
恋というものは、常識や理性では説明がつかないということ。
英語表現
「恋の山には孔子の倒れ」を英語で表現する場合、以下のような言い回しがあります。
Love makes wise men fools.
- 意味:「恋は賢者を愚者にする」
- 解説:賢い人であっても、恋をすると愚かな振る舞いをしてしまうという意味で、日本語のことわざとほぼ同じニュアンスで使えます。
- 例文:
Don’t laugh at him. Love makes wise men fools.
(彼を笑ってはいけないよ。恋は賢者をも愚かにするのだから。)
孔子にまつわる豆知識
孔子は実際に「恋」で失敗したのか?
このことわざを聞くと、「孔子も昔、大恋愛をして失敗したのか?」と思うかもしれませんが、そのような史実やエピソードは存在しません。
前述の通り、もともとは「盗賊への説得に失敗した(論破された)」という逸話がベースです。
平安貴族たちは、その「失敗」という要素だけを抜き出し、「あの堅物な孔子先生でも(もし恋をしたら)きっと倒れるに違いない」という「仮定のパロディ」として、この言葉を楽しんでいたのです。
当時から孔子は「堅苦しい道徳の象徴」でした。そんな孔子を「恋の山」で転ばせることで、人間の抗えない情愛の深さを逆説的に表現していると言えます。
まとめ
「恋の山には孔子の倒れ」は、千年前の『源氏物語』から続く、人間の本質を突いた言葉です。
どんなに知性や理性で武装していても、恋の前では誰もが無防備な一人の人間になってしまう。
もし自分や尊敬する人が恋愛で取り乱すことがあっても、それは恥ずかしいことではなく、「孔子様でも無理なのだから」と笑って許容する、そんなおおらかさを教えてくれているのかもしれません。







コメント