弘法にも筆の誤り

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ことわざ
弘法にも筆の誤り
(こうぼうにもふでのあやまり)
異形:弘法も筆の誤り

13文字の言葉こ・ご」から始まる言葉
弘法にも筆の誤り 【個別】ことわざ・慣用句・四字熟語

どんなに完璧に見える人でも、うっかりミスをしてしまうことはあるものです。
むしろ、普段は隙のない人が失敗をしたとき、周囲は少しホッとしたり、親しみを感じたりすることさえあります。

そんな場面で、相手をフォローするために使われるのが
「弘法にも筆の誤り」(こうぼうにもふでのあやまり)です。

意味

「弘法にも筆の誤り」とは、その道の達人や名人であっても、時には失敗することがあるというたとえです。

平安時代の「三筆(書道の達人)」の一人として知られる弘法大師(空海)でさえ、書き損じをしたという伝説に基づいています。
基本的には、誰かが失敗した際に「あのすごい人でさえ間違えるのだから」とかばったり、慰めたりする文脈で用いられます。

語源・由来

この言葉の由来は、平安時代初期の僧・弘法大師(空海)にまつわる有名な伝説です。

時の天皇から、御所の「応天門(おうてんもん)」に掲げる額の文字を書くよう命じられた弘法大師は、素晴らしい筆運びで「應天門(応天門)」と書き上げました。
しかし、いざ額を門の高い位置に掲げてみると、ある重大なミスが発覚します。なんと、「應(応)」という字の一番上にあるはずの「点」が一つ抜けていたのです。

すでに額は高い場所にあり、下ろすのは手間がかかります。そこで弘法大師は、下から筆を投げつけ、見事に点を打ち、文字を完成させたと伝えられています。
この逸話から、「弘法大師のような書の名人でも書き忘れることがある(失敗する)」こと、転じて「その失敗を挽回する技量もまた凄まじい」という意味を含んで語り継がれてきました。

※このエピソードは『今昔物語集』などに類話が見られますが、筆を投げたという部分は後世に付け加えられた伝説的な演出と考えられています。

使い方・例文

「弘法にも筆の誤り」は、主に他人の失敗に対して使います。
優れた能力を持つ人が珍しくミスをした際に、「あの人でも間違うことがあるんだ」という驚きと、「だから気にしなくていいよ」という温かいフォローの気持ちを込めて用います。

例文

  • クラスで一番賢い彼が答えを書き間違えるなんて、まさに「弘法にも筆の誤り」だ。
  • 「お母さんでも料理を焦がすことがあるのね」と娘に笑われ、弘法にも筆の誤りだと自分を慰めた。
  • あの慎重なベテラン運転手が道を間違えるとは、弘法にも筆の誤りと言うほかない。

誤用・注意点

この言葉は、使い方を間違えると相手に不快感を与えたり、自分が恥をかいたりする可能性があります。

自分の失敗には使わない

自分のミスに対して「いやあ、弘法にも筆の誤りでして」と言うのは避けるべきです。
これを行ってしまうと、「自分を弘法大師(達人)と同レベルだと自惚れている」と受け取られる恐れがあります。自分の失敗には「お恥ずかしい限りです」「不徳の致すところです」などを使うのが無難です。

目上の人への使用は慎重に

相手を「達人」と認める敬意が含まれる言葉ですが、同時に「失敗しましたね」と指摘する言葉でもあります。
上司や恩師に対して直接使うと、「上から目線で評価された」と感じる人もいるため、関係性が深くない場合は使用を控えたほうが賢明です。

類義語・関連語

「弘法にも筆の誤り」と似た意味を持つ言葉には、動物や架空の生き物を使ったユニークな表現が多くあります。

  • 猿も木から落ちる(さるもきからおちる):
    木登りが得意な猿でも、時には落ちることがあるということ。
    最も一般的で使いやすい類義語です。
  • 河童の川流れ(かっぱのかわながれ):
    泳ぎの名手である河童でも、川の水に流されることがあるということ。
  • 上手の手から水が漏る(じょうずのてからみずがもる):
    どんなに上手な人でも、細かいところで失敗をすることがあるというたとえ。
  • 千慮の一失(せんりょのいっしつ):
    賢い人でも、多くの考えの中に一つくらいは間違いがあるということ。(対義語は「愚者の一得」)

違いのポイント

「猿も木から落ちる」は日常的な失敗全般に使えますが、「弘法にも筆の誤り」は「専門家・プロフェッショナル」の失敗に対して使うと、よりニュアンスが伝わりやすくなります。

対義語

「弘法にも筆の誤り」とは対照的な意味を持つ言葉は以下の通りです。

  • 愚者の一得(ぐしゃのいっとく):
    愚かな人でも、時には名案を出すことがあるということ。
  • 怪我の功名(けがのこうみょう):
    失敗や過失が、偶然にも良い結果を生むこと。(失敗が良い結果に転じる点で対照的)

英語表現

「弘法にも筆の誤り」を英語で表現する場合、西洋の偉大な詩人を引き合いに出したフレーズがあります。

Even Homer sometimes nods.

  • 意味:「ホメロスでさえ、時には居眠りをする」
  • 解説:古代ギリシャの大叙事詩『イリアス』などを残した詩人ホメロスであっても、退屈な詩を書いたり、ミスをしたりすることがあるという意味です。「nod」は居眠りをして頭がカクンとなる動作(舟を漕ぐ)を指します。
  • 例文:
    Don’t be so hard on yourself. Even Homer sometimes nods.
    (そんなに自分を責めないで。弘法にも筆の誤りと言うでしょう。)

空海と「筆」の豆知識

この言葉の由来となった弘法大師(空海)には、もう一つ、筆にまつわる有名な言葉があります。

「弘法筆を選ばず」の真実

一般的に「能書(のうしょ)筆を選ばず(=達人は道具の良し悪しにかかわらず立派な字を書く)」という意味で、空海が引き合いに出されます。
しかし実際には、空海自身が著書『性霊集(しょうりょうしゅう)』の中で、「良工はまずその刀を利(と)ぐ(=良い職人はまず道具の手入れをする)」といった趣旨のことを述べており、実は道具(筆)に強いこだわりを持っていたことが分かっています。

「筆の誤り」も「筆を選ばず」も、後世の人々が空海を神格化するあまり、「あの達人ならこうだろう」とイメージを膨らませた結果生まれた言葉なのかもしれません。

まとめ

「弘法にも筆の誤り」は、どんなに優れた人でも失敗することはあるという、人間の不完全さを許容する言葉です。

完璧主義になりすぎて自分や他人を追い詰めてしまいそうなとき、この言葉を思い出すことで、「失敗してもいいんだ」「次は挽回すればいい」と前向きに捉え直すことができるでしょう。

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