「立派な教えを説いているあの人が、裏では全く違う行動をしていた…」
人前では道徳や理想を語る人が、自分自身はその教えからかけ離れた生活を送っている。そんな矛盾した姿を見て、がっかりしたことはありませんか?
「坊主の不信心(ぼうずのふしんじん)」は、まさにこのような、言うこととやることが一致しない状況を鋭く指摘することわざです。
「坊主の不信心」の意味・教訓
「坊主の不信心」とは、本来、仏の道を説き、人々を導く立場である僧侶(坊主)が、当の本人に信仰心(信心)が薄いことを意味します。
これが転じて、現代では主に二つの意味で使われます。
- 専門家でありながら、自分の専門分野については無頓着であること。
- 他人には立派なことを教え諭しながら、自分自身はそれを実行しないこと。
特に2つ目の、「言行不一致」に対する皮肉や批判として使われることが多いのが特徴です。
「坊主の不信心」の語源
このことわざは、言葉通りの情景が元になっています。
仏の教えの尊さを誰よりも知っているはずの僧侶が、最も信仰心が薄いという逆説的な状況を指しています。
この表現が広く知られるようになった背景の一つに、江戸時代の学者である平賀源内(ひらがげんない)の滑稽本『風流志道軒伝(ふうりゅうしどうけんでん)』があります。
作中に「医者の不養生、坊主の不信心」という一節があり、この対句がセットで世に広まったとされています。

使用される場面と例文
「坊主の不信心」は、その職業や立場にふさわしくない行動や、言っていることとやっていることが矛盾している状況を批判的・皮肉的に指摘する際に使われます。
例文
- 「生徒に『ルールを守れ』と厳しく指導する教師が、平気で信号無視をしている。まさに「坊主の不信心」だ。」
- 「彼は人前ではSDGsを熱心に語るが、私生活ではゴミの分別もせず、「坊主の不信心」と言わざるを得ない。」
- 「うちの社長は『社員の健康が第一だ』と言いながら、自分は毎晩深酒をしている。「坊主の不信心」の見本のような人だ。」
- (自嘲的に)「人には『貯蓄が大事だ』とアドバイスしておきながら、自分は衝動買いばかり。これでは「坊主の不信心」ですね。」
類義語・言い換え表現
「坊主の不信心」には、似たような「専門家が自分のことをおろそかにする」という意味のことわざが多くあります。
- 医者の不養生(いしゃのふようじょう):
他人の健康には厳しい医者が、自分は健康に無頓着なこと。「坊主の不信心」とセットで使われる代表的なことわざです。 - 髪結いの乱れ髪(かみゆいのみだれがみ):
他人の髪はきれいにする髪結いが、自分の髪は乱れたままなこと。 - 紺屋の白袴(こうやのしろばかま):
染物屋が、自分は染めていない白い袴をはいていること。 - 易者身の上知らず(えきしゃみのうえしらず):
他人の運勢は占う易者が、自分の身の上は分からないこと。
【ニュアンスの違い】
「髪結い〜」や「紺屋〜」が、「忙しくて手が回らない」という同情的なニュアンスも含むことがあるのに対し、「坊主の不信心」や「医者の不養生」は、「知っているの(言うの)に実行しない」という、言行不一致への批判や皮肉のニュアンスがより強いのが特徴です。
対義語
「言うこととやることが違う」状態とは正反対の、「言うこととやることが一致している」という意味の言葉が対義語となります。
英語での類似表現
「坊主の不信心」や「医者の不養生」のニュアンスに近い英語表現を紹介します。
Physician, heal thyself.
- 直訳:「医者よ、汝自身を癒せ。」
- 意味:新約聖書に由来する言葉で、「他人の欠点を指摘する前に、まず自分自身の欠点を改めよ」という意味で使われます。「医者の不養生」や「坊主の不信心」の「言行不一致」を戒めるニュアンスに非常に近いです。
The shoemaker’s children go barefoot.
- 直訳:「靴屋の子供は裸足で行く。」
- 意味:「髪結いの乱れ髪」や「紺屋の白袴」と同様に、「専門家が自分の家族(や自身)のことを後回しにする」状況を指します。
まとめ – 「坊主の不信心」から学ぶ知恵
「坊主の不信心」は、他人の言動の矛盾を指摘する鋭い言葉であると同時に、私たち自身への戒めでもあります。
私たちは誰しも、理想や正論を語りながらも、実行が伴わないことがあります。
他人の「不信心」を笑うだけでなく、自分自身が「言うだけの人」になっていないか。
このことわざは、言葉と行動を一致させることの難しさと大切さを、改めて気づかせてくれるようです。



コメント