意味
「五斗米の為に腰を折る(ごとべいのためにこしをおる)」とは、わずかばかりの俸禄のために、心ならずも権力者に頭を下げて仕えるという意味です。
「五斗米」とは五斗の米のことで、当時の役人のわずかな俸給(月給とも日給とも言われる)を指します。
「腰を折る」は、相手に対して深くお辞儀をする、つまりへつらったり卑屈な態度を取ったりすることです。
どれほど志が高くても、食べていくためには嫌な相手にも従わなければならないという、世渡りの厳しさを表しています。
- 五斗(ごと):分量の単位。一斗の五倍。日本の尺貫法では約90リットル。
- 腰を折る(こしをおる):お辞儀をする。屈従する。
語源・由来
「五斗米の為に腰を折る」の語源は、中国の東晋時代(4世紀〜5世紀)の詩人、陶淵明のエピソードにあります。
彭沢県の県令(長官)をしていた陶淵明のもとへ、あるとき郡から督郵(県を見回る役人)が視察にやってきました。
県の役人は「正装してお迎えするべきです」と進言しましたが、陶淵明はこれを嘆き、官印を返して県を去りました。
『晋書』陶潜伝には、このときの陶淵明の言葉が次のように記されています。
吾不能為五斗米折腰,拳拳事鄉里小人邪!
(わたしは五斗の米のために腰を折って、田舎の小人物にうやうやしく仕えることなどできない。)
この言葉を裏返した形が「五斗米の為に腰を折る」です。
使い方・例文
「五斗米の為に腰を折る」は、自分の誇りを捨ててまで仕事や生活を優先せざるを得ない悲哀を語る際に使われます。
会社での理不尽な命令に従う時だけでなく、地域社会や家庭での妥協など、幅広い場面で用いられます。
- 納得のいかない方針に従うのは、まさに五斗米の為に腰を折る心境だ。
- 「五斗米の為に腰を折る生活はもう限界だ」と友人は店を辞める決意をした。
- 家計を支えるため、五斗米の為に腰を折る思いでアルバイトを続けている。
類義語・関連語
「五斗米の為に腰を折る」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 糊口を凌ぐ(ここうをしのぐ):
「五斗米〜」が屈従に焦点を当てるのに対し、こちらは「なんとか食べていく」という生計の維持に重点を置いた言葉。
対義語
「五斗米の為に腰を折る」とは対照的な意味を持つ言葉は、以下の通りです。
- 渇しても盗泉の水を飲まず(かっしてもとうせんのみずをのまず):
どんなに困窮しても、決して不名誉なことや不正には手を染めないという強い信念。 - 安貧楽道(あんぴんらくどう):
貧しさに安んじて、心の平穏や人としての正しい道を求めること。 - 五斗米の為に腰を折らず(ごとべいのためにこしをおらず):
陶淵明の本来の行動を指し、自尊心を守るために地位や報酬を捨てること。
英語表現
「五斗米の為に腰を折る」を英語で表現する場合、以下の言い回しが適しています。
Bow and scrape
直訳は「お辞儀をして床をこする」で、片足を引いて深々とお辞儀をする動作から、卑屈なほどへりくだってこびへつらうことを指す表現。
He is tired of bowing and scraping for his bread under a tyrannical boss.
(彼は暴君のような上司のもとで、食うためにペコペコすることに疲れ果てている。)
Sell one’s soul
直訳は「魂を売る」で、金銭や利益と引き換えに、自分の信念や道徳を捨てることを指す表現。
例文のように「for a pittance(わずかな報酬のために)」を添えると、見出し語に近い意味になります。
I don’t want to sell my soul for a pittance.
(わずかな金のために魂を売りたくはない。)
五斗米の為に腰を折るのを拒み、陶淵明が詠んだ『帰去来辞』
「五斗米の為に腰を折る」ことを拒んだ陶淵明は、官職を捨てて故郷へ帰る際に『帰去来辞』を書きました。
その冒頭近くには、次の一節があります。
既自以心為形役,奚惆悵而獨悲?悟已往之不諫,知來者之可追。
(これまで自分から心を体の召使いにしてきたのだから、どうして恨み嘆いて独り悲しむことがあろうか。過ぎたことはもう正せないと悟り、これから先のことは追い求められると知った。)
陶淵明が県令の職にあったのは八十余日で、『帰去来辞』はその辞職にあたって書かれたものです。










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