意味
実際に困っている人を励ます言葉というより、自分の身の潔白を保つ覚悟を示す言い方です。
手を出せば楽になると分かったうえで、それでも退けるという厳しさを含みます。
- 渇する(かっする):喉が渇く。転じて強く欲しがる。
- 盗泉(とうせん):中国にあったとされる泉の名。
語源・由来
「渇しても盗泉の水を飲まず」は、中国の詩人・陸機が作った「猛虎行」という詩の冒頭の一節から生まれました。
陸機は三世紀から四世紀にかけての人で、仕えていた国が滅ぼされ、敵方に仕えざるをえない立場に追い込まれました。
その苦しい胸のうちを、渇しても盗泉の水は飲まないと言うけれども現実には悩みが尽きない、とうたったのです。
つまりこの言葉は、潔白を貫けた人の自慢ではなく、貫きたいのに貫けない人の嘆きとして世に出ました。
もとになったのは、孔子が盗泉という名の泉のそばを通ったとき、喉が渇いていたのにその名の悪さを嫌って水を飲まなかったという言い伝えです。
盗泉は、いまの山東省泗水県にあった泉とされています。
使い方・例文
「渇しても盗泉の水を飲まず」は、苦しい立場に置かれても不正な誘いを断る場面で使われます。
- 資金繰りは苦しいが、渇しても盗泉の水を飲まずだ。断る。
- 祖父は渇しても盗泉の水を飲まずを生涯貫いた人だった。
- 「うまい話だが受けられない。渇しても盗泉の水を飲まずだよ」
小説での使用例
『宮本武蔵』(吉川英治)
身寄りを頼って頭を下げることもできず、意地を張り通す人物の心境として使われています。
身寄り頼りに縋って、さもしい頭も下げきれず、また、渇しても盗泉の水はくらわず――と頑固に持して
言い方の揺れ
末尾を「くらわず」とする「渇しても盗泉の水をくらわず」の形も辞書に載っており、どちらも誤りではありません。
吉川英治のように「くらわず」を選ぶと、意地を張る口調が強く出ます。
類義語・関連語
「渇しても盗泉の水を飲まず」と同じく、困っていても筋を曲げない姿勢を表す言葉には以下のようなものがあります。
- 武士は食わねど高楊枝(ぶしはくわねどたかようじ):
貧しくても、満ち足りているように振る舞って誇りを守ること。 - 李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず(りかにかんむりをたださず、かでんにくつをいれず):
疑われるような振る舞いは、そもそも避けよという戒め。 - 清廉潔白(せいれんけっぱく):
心が清く、私欲や後ろ暗いところがまったくない様子。
「渇しても盗泉の水を飲まず」と「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」の違い
どちらも不正から身を遠ざける教えですが、避ける理由が違います。
「渇しても盗泉の水を飲まず」は自分の潔白を守るためで、「李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず」は他人からの疑いを避けるためです。
| 語句 | 避ける理由 | 意識する相手 |
|---|---|---|
| 渇しても盗泉の水を飲まず (かっしてもとうせんのみずをのまず) | 自分の筋を通すため | 自分自身 |
| 李下に冠を正さず、瓜田に履を納れず (りかにかんむりをたださず、かでんにくつをいれず) | 疑いを招かないため | 周囲の目 |
対義語
「渇しても盗泉の水を飲まず」と正面から対をなす言葉があります。
- 背に腹はかえられぬ(せにはらはかえられぬ):
大事を守るためなら、多少の犠牲や無理はやむを得ないということ。
英語表現
keep one’s hands clean
手を汚さない、つまり不正に関わらずにいることを表す言い回し。
He lost everything, but he kept his hands clean.
(彼は全てを失いましたが、渇しても盗泉の水を飲まずを貫きました。)
泉の名前だけで避けられた理由
孔子が避けたのは水の中身ではなく、盗という一文字でした。
古代中国には、名と実は結びついているとする考え方があり、孔子自身も政治をまかされたら何をするかと問われて「必ずや名を正さんか」と答えています。
名づけが正しくなければ言葉が通らず、言葉が通らなければ物事が成らない、という順に話は続きます。
盗という名の泉に口をつけないという振る舞いは、この名を重んじる態度が形になったものとして語り継がれてきました。









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