食べ放題のレストランや、久しぶりに集まった親戚との食事会。
目の前に並んだご馳走を前に、理性を忘れて次から次へと口に運んでしまう。
そんな、周りが驚くほどの勢いで大量の飲食物を摂取する様子を、
「牛飲馬食」(ぎゅういんばしょく)と言います。
意味・教訓
「牛飲馬食」とは、一度に大量の飲食物を摂取することを指します。
単に量が多いだけでなく、むさぼるように、あるいはがっつくように飲み食いするニュアンスが含まれます。
- 牛飲(ぎゅういん):
牛が水をがぶがぶと飲むように、多量の酒や飲み物を飲むこと。 - 馬食(ばしょく):
馬が草をむさぼり食べるように、多量の食べ物を食べること。
どちらも動物の豪快な食事風景をなぞらえており、現代では「暴飲暴食」とほぼ同じ意味で、健康や品位を損なうような文脈で使われることが一般的です。
語源・由来
「牛飲馬食」の由来は、中国の唐時代を代表する文人である韓愈(かんゆ)が、息子に学問を勧めるために書いた詩『符読書城南(ふにしょをじょうなんによましむ)』にあるとされています。
この詩の中に「牛飲而馬食(ぎゅういんしてばしょくす)」という一節が登場します。
本来は「牛のように飲み、馬のように食べる」という、ただ単にたくさん飲み食いする様子を写実的に表現したものでした。
それが長い年月を経て、日本でも「度を越した飲食」を揶揄する言葉として定着しました。
使い方・例文
「牛飲馬食」は、主に本人の節制のなさを指摘したり、若さゆえの旺盛な食欲を大げさに表現したりする場合に使われます。
例文
- 育ち盛りの息子たちは、運動部の合宿から帰るなり「牛飲馬食」の限りを尽くした。
- 「お正月だからといって、牛飲馬食を繰り返していては胃腸が持たないよ」と妻に釘を刺された。
- 彼はかつて「牛飲馬食」を自慢していたが、最近は健康を考えて野菜中心の食事に切り替えた。
- 会社の忘年会で「牛飲馬食」した結果、翌朝はひどい二日酔いと胃もたれに襲われた。
文学作品・メディアでの使用例
『吾輩は猫である』(夏目漱石)
猫の視点から人間模様を滑稽に描いた名作です。
知識人たちが集まり、他愛もない世間話や議論を交わす中で、暴飲暴食の様子が語られます。
それから、その次の日にはまた牛肉を二斤ばかり買って来て、牛飲馬食をやってね。
類義語・関連語
「牛飲馬食」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 暴飲暴食(ぼういんぼうしょく):
度を過ごして、むやみに飲み食いすること。最も一般的に使われる類語です。 - 鯨飲馬食(げいいんばしょく):
鯨(くじら)が海水を飲み込むように、多量に飲み食いすること。「牛飲」よりもさらに量が多い印象を与えます。 - 酒池肉林(しゅちにくりん):
贅沢を極めた宴会のこと。もともとは豪華な食事の例えでしたが、現代では乱痴気騒ぎのニュアンスで使われます。
対義語
「牛飲馬食」とは対照的な意味を持つ言葉は以下の通りです。
- 粗食(そしょく):
おかずが少なく、粗末な食事のこと。 - 節制(せっせい):
度を越さないよう、欲望を控えめにすること。 - 小食(しょうしょく):
食べる量が少ないこと。
英語表現
「牛飲馬食」を英語で表現する場合、動物を使ったイディオムがよく使われます。
Eat like a horse
- 意味:「大食いである」
- 解説:馬のようにたくさん食べる、という日本語の「馬食」と全く同じ発想の表現です。
- 例文:
My brother eats like a horse, but he never gains weight.
(私の弟は牛飲馬食するが、全く太らない。)
Drink like a fish
- 意味:「大酒飲みである」
- 解説:魚が常に口を動かして水を飲んでいるように見えることから、お酒を大量に飲む人を指します。
- 例文:
He used to drink like a fish when he was young.
(彼は若い頃、牛飲馬食(特に大酒)をしていた。)
知っておきたい豆知識
「牛飲馬食」という言葉には、実は「牛」と「馬」という二種類の家畜が登場しますが、これは単に「たくさん食べる動物」の代表として選ばれただけではありません。
牛は水を飲むときに一度に大量の水分を摂取し、馬は立ったまま一日中草を食み続ける習性があります。
この二つの異なる「大量摂取」のイメージが組み合わさることで、単なる大食い以上の、圧倒的なボリューム感と勢いが表現されているのです。
現代の私たちは、牛や馬の食事風景を間近で見る機会は減りましたが、言葉の中にはかつての農村風景や動物たちの力強い生命力が息づいています。
まとめ
「牛飲馬食」は、生きるための活力を感じさせる豪快な言葉である一方、常に健康への不安や品位の欠如という警告を孕んでいます。
美味しいものを心ゆくまで楽しむのは素晴らしいことですが、度を越せば体に毒となるのは、いつの時代も変わりません。
言葉の由来となった動物たちのように、健康的な食欲を持ちつつも、時には自分の胃腸を労わる余裕を持ちたいものですね。
日々の食事に感謝し、バランスを整えることで、この言葉を「若き日の良き思い出」として語れるようになることでしょう。




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