ことわざ

神は見通し

(かみはみとおし)

人間がどんなに隠そうとしても、神はすべてを見抜いており、悪事やごまかしは通用しないということ。


7文字の言葉か・が」から始まる言葉
神は見通し ことば
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意味

「神は見通し」とは、人間がどんなに隠そうとしても、神はすべてを見抜いており、悪事やごまかしは通用しないという意味です。
誰も見ていないと思って気を緩めたときに自分を戒める言葉として使われ、静かな緊張感を含んだ響きを持っています。

  • (かみ):人知を超えた力を持つ存在。
  • 見通し(みとおし):先々まですべて見抜いていること。

語源・由来

「神は見通し」は、江戸時代の狂言の台本を書き起こした『狂言記』(1660年)に「神は見どをし、これがよう御ざろ」という一節が残っており、そのころには既に世間に広まっていた言葉だとわかります。
人前では善人を装いながら裏で不正を働く人間の弱さを見透かすように、神という絶対的な存在を持ち出すことで、誰も見ていない場面での行いを戒めたのがこの言葉の役割です。
日常の中で人の心を律するための格言として口伝えに広まってきたと考えられています。

使い方・例文

「神は見通し」は、悪事や不正がいずれ露見することを戒める場面で使われます。

  • 誰も見ていないと思うなよ、神は見通しだぞ。
  • 裏で手を抜いても神は見通し、いつかバレるものだ。
  • 子どもの嘘に、祖母は神は見通しだよと諭した。

類義語・関連語

「神は見通し」と同様に、人の行いはすべて見抜かれているという教えを表す言葉には以下のようなものがあります。

  • お天道様は見ている(おてんとうさまはみている):太陽が人の行いをすべて見ているという戒め。
  • 天知る地知る我知る人知る(てんしるちしるわれしるひとしる):秘密はどこかで必ず誰かが知っているという教え。

江戸時代の狂言の台本に残る、300年以上前の言い回し

「神は見通し」の古い使用例は江戸時代前期の狂言の台本集『狂言記』(1660年)に見られ、「神は見どをし、これがよう御ざろ」という形で登場する。

神仏が人の行いをすべて見ているという発想は、「天道様は見通し」「天は見通し」「仏は見通し」など、見ている対象を神から天や仏に置き換えた似た言い回しが各地に残っている。

誰も見ていない場所でも悪事はできないという教えは、人の目ではなく信仰の目によって日々の振る舞いを律しようとした、古くからの発想の表れである。

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