意味
「一木一草(いちぼくいっそう)」とは、一本の木、一本の草のことで、転じて、ごくわずかなもののたとえです。
「一木一草も残さず」「一木一草も生えない」のように、ほんのわずかな草木や、ごくわずかなものまでを言い表すときに使われます。
「一木一草に至るまで」という形で、後に続く動詞を強調する働きを持つ言葉です。
- 一木(いちぼく):一本の木。
- 一草(いっそう):一本の草。
語源・由来
「一木一草」は、一本の木と一本の草を並べた言葉で、そこから、ほんのわずかな草木や、ごくわずかなもののたとえとして使われます。
使い方・例文
「一木一草」は、ほんのわずかな草木や、ごくわずかなものまでを取り上げて言う場面で使われます。
- この庭園は一木一草に至るまで、丁寧に手入れされている。
- 戦火で、村の一木一草まで焼き尽くされた。
- 先祖代々の土地は、一木一草にも思い入れがある。
類義語・関連語
「一木一草」と同じように、細部まで漏れなく含むことを表す言葉には、以下のようなものがあります。
- 隅から隅まで(すみからすみまで):
端から端まで、残らずすべてに及ぶこと。 - 一切合切(いっさいがっさい):
関わりのあるものすべてを、残らず含めること。
英語表現
every last blade of grass
一本の草の葉に至るまで、すべてを指す表現。
They tended the garden, caring for every last blade of grass.
(彼らは一木一草にまで気を配り、庭の手入れをした。)
仏教語「一草一木各一因果」との関わりが指摘される由来
「一木一草」は、一本の木や一本の草、転じてごくわずかなもののたとえですが、この成り立ちには仏教語「一草一木各一因果」との関わりが指摘されています。
これは、一本の草や一本の木であっても、それぞれに固有の因果(原因と結果の連なり)が備わっているという仏教的な考え方を表す言葉です。
どんなに小さな草木にもそれぞれの因果があるという考え方は、ごくわずかなものまで取り上げて言う「一木一草」の使われ方とも通じるところがあります。











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