意味
「眼光紙背に徹す(がんこうしはいにてっす)」とは、書物を読む際、表面的な文字の意味だけでなくその奥にある真意までも深く理解することです。
- 眼光(がんこう):物事を鋭く見抜く力。
- 紙背(しはい):紙の裏側。
- 徹す(てっす):貫き通る。
「鋭い眼光が紙の裏まで突き抜ける」という比喩から、文章の裏側に隠された筆者の意図や、物事の本質を鋭く見抜く力を指すようになりました。
語源・由来
「眼光紙背に徹す」のもとになったのは、江戸時代末期の儒学者・塩谷宕陰(しおのやとういん)の文章です。
そこでは、同門の安井仲平(号は息軒)の読書ぶりを「書を読むに眼は紙背に透る」と評しています。
鋭い眼差しが紙の裏まで見通し、筆者が言葉にしきれなかった意図まで読み取ってしまう、という言い方です。
この一句が「眼光紙背に徹す」という形に整えられ、現代でも高い洞察力を表す言葉として使われるようになりました。
使い方・例文
深い分析力を持つ人を称賛する際や、物事の裏側を見抜く姿勢を語る場面で使われます。
日常の読書だけでなく、相手の言葉の真意を探るような対人関係の文脈でも用いられます。
例文
- 祖父は古い手紙を読み、眼光紙背に徹す勢いで友人の真意を悟った。
- 教科書の一文から著者の意図を汲み取る、眼光紙背に徹す読解力。
- 言葉の裏にある感情を見抜く、眼光紙背に徹すような鋭い視線。
- 彼は眼光紙背に徹す洞察力で、資料の僅かな矛盾を見逃さなかった。
類義語・関連語
「眼光紙背に徹す」と似た意味を持つ、深い理解や洞察力に関する言葉です。
- 読書百遍意自ずから通ず(どくしょひゃっぺんいおのずからつうず):
難しい本も繰り返し読めば、自然と意味が理解できるようになること。 - 一を聞いて十を知る(いちをきいてじゅうをしる):
物事の一部を聞いただけで、全体を理解できるほど聡明なこと。 - 慧眼(けいがん):
物事の本質を鋭く見抜く、優れた眼力のこと。
対義語
表面的な部分しか見ていないことや、理解が浅いことを表す言葉です。
- 皮相の見(ひそうのけん):
物事のうわべだけを見て、本質を捉えていない浅はかな見解。 - 浅薄(せんぱく):
知識や考えが浅く、重みがないこと。 - 木を見て森を見ず(きをみてもりをみず):
細部にこだわりすぎて、全体の本質を見失うこと。
英語表現
「眼光紙背に徹す」に近い英語には、書かれていない意図まで読み取ることを言う表現があります。
Read between the lines
「行間を読む」という日本語でもおなじみの表現です。
書かれていない意図を読み取るという意味で、最も近いニュアンスを持ちます。
You need to read between the lines to understand her letter.
(彼女の手紙を理解するには、眼光紙背に徹して(行間を読んで)読む必要がある。)
「眼は紙背に透る」は学び続けた友への評
塩谷宕陰の「安井仲平の東遊するを送る序」は、学問を続けることの難しさから書き起こされています。
学校にいる間は励んでも、学校を離れると怠ける人がいます。
妻子を持つと気力が衰える人、禄(= 主君から受ける給与)を得ると学問をやめる人、災難に遭うとくじける人もいます。
宕陰はこうした人を順に挙げ、そのどれにも当たらない人として、同門の仲平の名を出しました。
宕陰は仲平を、小柄で見た目もひどくさえない男だと率直に書いています。
そのうえで、仲平が甲申の年(1824年)に江戸の昌平黌(= 幕府の学問所)に入り、3年間少しも怠けなかったと述べ、その読書ぶりを「眼は紙背に透る」と評しました。
「眼光紙背に徹す」のもとの一句は、学問を投げ出さない人をたたえる文章の中で、その読み方の深さを言い表したものでした。











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