意味
「凡才(ぼんさい)」とは、平凡で、特にすぐれたところのない才能、また、そのような才能の人のことです。
謙遜して自分を指して使うことが多く、優れた人物を指す「天才」「秀才」と対比して使われます。
語源・由来
「凡才」は、中国・三国時代の武将周瑜が、孫権にあてて書いた遺書に見える言葉です。
『三国志』呉志・魯粛伝の注が引く『江表伝』によれば、周瑜は病の床で「瑜、凡才を以て(私、周瑜は、並みの才しか持たぬ身でありながら)」と書き起こし、亡き主君・孫策から特別な引き立てを受け重い任を託されたことへの感謝と、志半ばで倒れる無念を伝えました。
呉の勝利を決定づけた赤壁の戦いを指揮した名将が、ここで自分を「凡才」と呼んでへりくだっています。
使い方・例文
- 自分など凡才にすぎないと、彼は謙遜して語った。
- 天才ひしめくこの世界で、自分は凡才だと痛感する日々だ。
類義語・関連語
「凡才」と同じように、平凡な才能を表す言葉には以下のようなものがあります。
- 凡人(ぼんじん):
特別な才能を持たない、普通の人のこと。 - 凡庸(ぼんよう):
これといって、特にすぐれた点がないこと。
対義語
- 天才(てんさい):
生まれながらに、並外れた才能を持つ人のこと。
英語表現
I’m no genius
自分の能力を控えめに述べるときに使う、謙遜の言い方。
I’m no genius, but I’ll do my best with what I have.
(私は凡才ですが、持てる力で精一杯やります。)
「凡才」と自称した周瑜と、小説が作った正反対の最期
周瑜には、もう一つよく知られた最期の言葉があります。
「既に瑜を生まれさせながら、なぜまた亮(諸葛亮)をも生まれさせたのか」と、ライバルの才を妬んで嘆いたとされる「既生瑜、何生亮」という一句です。
ただしこの言葉は、歴史書ではなく後世の小説『三国演義』が創作した台詞で、正史『三国志』には記されていません。
実際の周瑜は温厚で度量が大きい人物だったと伝えられ、諸葛亮への嫉妬に狂って世を去ったとする記録もありません。
正史の本文に載る病床からの上疏(主君への意見書)も、注に引かれた『江表伝』の「凡才」とへりくだる書簡も、文面は異なりますが、どちらも後継に魯粛を推薦する、実務的な文章でした。
これらの文面からは、小説が描いた嫉妬に燃える最期とは正反対の人物像が浮かびます。









コメント