意味
「文明開化(ぶんめいかいか)」とは、人の知恵が進んで世の中が開け、暮らしが便利になっていくという意味です。
歴史の言葉としては、特に明治の初めに、日本が西洋の文明を積極的に取り入れ、急速に近代化・西洋化した動きを指します。
明治10年(1877年)ごろまでの時期、または明治の前半を「文明開化期」と呼ぶこともあります。
語源・由来
この言葉は、漢籍(= 中国の古い書物)に出てくる「文明」と「開化」を結び付けて作られました。
英語の civilization(シビリゼーション)の訳語として、明治維新の後に広まります。
この語が最初に出てくるのは、福沢諭吉の『西洋事情』外編(1868年)とされています。
幕末に西洋の国々が日本に迫ってくると、日本の独立を守るには優れた西洋の文明を取り入れるしかない、という考えが現れました。
明治新政府はこの考えを受け継ぎ、1871年(明治4年)の廃藩置県(= 藩をなくして府と県を置いた改革)のころから、本格的に西洋の制度や技術を取り入れはじめます。
政府は富国強兵・殖産興業を目標に掲げました。
そのもとで、学制・徴兵令・地租改正などの改革が進められます。
町の暮らしも変わりました。
新橋―横浜間に鉄道が通り、電信や郵便が始まり、ガス灯・洋服・洋食・牛鍋などが広まります。
勢いがもっとも強かったのは1873年から1875年(明治6〜8年)ごろです。
ただし、こうした変化は東京・大阪などの大都市が中心で、地方にはすぐには広がりませんでした。
西洋のものを無批判にありがたがり、日本の伝統文化を古いものとして退ける行き過ぎも見られました。
使い方・例文
明治の歴史を指すときは「文明開化の時代」のように時代の名前として使います。
身の回りの暮らしが急に新しく便利になったことを、たとえて言うときにも使います。
- 明治の文明開化で、ガス灯や牛鍋が東京の町に広まった。
- 祖父の村に電気が通った日は、まさに文明開化だったそうだ。
- スマートフォンを初めて手にした母は、我が家の文明開化だと笑った。
散切り頭は文明開化の象徴として唄われた
1871年(明治4年)に、まげを切ってもよいとする「散髪脱刀令」が出ると、ちょんまげを切り落とす人が増えました。
まげを落とした後の短い髪形は散切り頭と呼ばれ、文明開化の象徴になりました。
明治の前期には、次のような唄が歌われました。
「チョンマゲ頭を叩いてみれば因循姑息の音がする、ザンギリ頭を叩いてみれば文明開化の音がする」
唄では、ちょんまげを因循姑息(= 古いやり方にこだわり、その場しのぎで済ませること)に、散切り頭を文明開化に結び付けています。
唄の背景には、古いしきたりを遅れたものとみなし、西洋のものを取り入れることが進歩だとする当時の考え方があります。


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