意味
「明日ありと思う心の仇桜(あすありとおもうこころのあだざくら)」とは、明日があると思って物事を先延ばしにしていると、機会を失うことがあるという戒めです。
桜が明日も咲いているとは限らないように、今できることを後回しにする態度への警句として使われます。
- 仇桜(あだざくら):はかなく散ってしまう桜、当てにならないもののたとえ。
- 心(こころ):物事に対する心構えや油断。
語源・由来
「明日ありと思う心の仇桜」は、親鸞の作と伝えられる和歌「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」の上の句です。
今咲いている桜も、夜のうちに嵐が吹けば散ってしまうかもしれない、それと同じように、人の命や物事にも確実な明日はないという思いが込められています。
使い方・例文
「明日ありと思う心の仇桜」は、物事を先延ばしにしがちな自分や相手を戒める場面で使われます。
- 明日ありと思う心の仇桜、というから、今日中に片付けておこう。
- 先延ばし癖のある友人に、「明日ありと思う心の仇桜」という言葉を贈った。
- 明日ありと思う心の仇桜を胸に、思い立ったらすぐ行動するよう心がけている。
類義語・関連語
「明日ありと思う心の仇桜」と同じく、先延ばしを戒める言葉には、以下のようなものがあります。
英語表現
there’s no time like the present
「今この瞬間ほどふさわしい時はない」という意味の表現で、先延ばしを戒めて今すぐ行動を促すときに使われる。
There’s no time like the present, so let’s start today.
(明日ありと思う心の仇桜、だから今日から始めよう。)
tomorrow is never promised
「明日が来る保証はない」という意味の表現で、人生の不確かさを踏まえて今を大切にする際に使われる。
Remember that tomorrow is never promised.
(明日ありと思う心の仇桜、ということを忘れないように。)
9歳の親鸞の歌と伝わるが、出典は江戸後期の伝記
「明日ありと思う心の仇桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」は、浄土真宗の開祖・親鸞が9歳で得度を願った夜の歌と伝えられます。
得度とは、髪を剃って僧になることです。
京都の青蓮院で師の慈円に「日が暮れたので式は明日に」と言われ、今咲いている桜も夜のうちに嵐で散るかもしれない、と詠んでその夜の得度を願い出たといいます。
慈円は心を打たれ、その夜のうちに式を行ったとされます。
この話にちなんで、真宗高田派の本山・専修寺では今も、得度式を昼間でも扉を閉ざし、夜になぞらえて行っています。
ただ、この歌の出典とされるのは、寛政12年(1800年)に成った親鸞の絵入りの伝記です。
得度から600年以上のちの書物で、下の句も「夜は嵐の吹かぬものかは」となっています。
「明日ありと思う心の仇桜」を引くときは、親鸞の作と「伝えられる」歌として扱うのが確かです。












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