意味
「干天の慈雨(かんてんのじう)」とは、長い日照りの末にようやく降ってきた、恵みをもたらす雨を指します。
待ち望んでいた物事がようやく実現することや、困難な状況で救いの手が差し伸べられることのたとえとして使われ、心からの安堵や喜びを込めた表現です。
- 干天(かんてん):日照りが続く天候。
- 慈雨(じう):恵みをもたらす雨。
語源・由来
「干天の慈雨」は、農業が生活の基盤であった時代、日照りによる干ばつが人々の暮らしに直結する死活問題であったことから生まれた言葉です。
作物が枯れかけるほどの日照り続きの後にようやく降る雨は、まさに命をつなぐ恵みそのものでした。
この切実な喜びが、天候の話にとどまらず、経済的な苦境や苦しい交渉が救われた場面など、幅広い困難の解決を表す言葉として使われるようになりました。
使い方・例文
「干天の慈雨」は、苦しい状況の中でようやく訪れた救いや朗報を表す際に使われます。
- 資金繰りに苦しむ会社にとって、その融資はまさに干天の慈雨だった。
- 不振が続くチームに、新戦力の加入は干天の慈雨となった。
- 渇水地域にとって、この降雨はまさに干天の慈雨である。
類義語・関連語
「干天の慈雨」と同様に、待ち望んだ救いが訪れる様子を表す言葉には以下のようなものがあります。
英語表現
a godsend
天からの授かり物のように、思いがけずもたらされた恵みを表す表現。
The donation was a godsend for the struggling school.
(その寄付は苦しい学校にとって干天の慈雨だった。)
「干天の慈雨」と同じく、法華経も仏の教えを恵みの雨にたとえる
「干天の慈雨」の「慈雨」のように、恵みの雨を慈しみと結びつける表現は仏教の経典にもあります。
『法華経』観世音菩薩普門品の偈には「慈意妙大雲 澍甘露法雨」(慈意妙大雲のごとく、甘露の法雨を澍ぐ)とあり、観音の慈しみの心を大きな雲に、そこから降り注ぐ教えを甘露の法雨にたとえています。











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