ことわざ

朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり

(あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり)

人として生きる正しい道理を知ることができれば、その日のうちに死んでも悔いはないということ。


21文字の言葉」から始まる言葉
朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり ことば
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意味

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」は、中国の思想家・孔子の言葉に基づくことわざで、人として本当に大切な道理を悟ることができれば、その日のうちに命を終えても構わないという、真理を追い求める姿勢の重さを表します。
命の長さよりも、生きているうちに真理を知ることの尊さを説く場面で使われます。

  • (みち):人として守るべき正しい道理や真理。

語源・由来

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」は、中国の古典『論語』の里仁篇に登場する、孔子の言葉です。
人として行うべき正しい道理を朝のうちに悟ることができれば、その日の夕方に死んでも思い残すことはないという意味で述べられています。
孔子が生きた春秋時代の中国では、乱世のなかで正しい道理を説くことこそが学問の目的とされており、この言葉には、真理を得ることを何よりも重んじた孔子の姿勢が表れています。

使い方・例文

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」は、真理や信念を得ることの重さを、命の長さと引き比べて語る場面で使われます。

  • 恩師は朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりの心境で、生涯を研究にささげた。
  • 朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりというが、真理を求める道のりに終わりはない。

『牛肉と馬鈴薯』での使用例

『牛肉と馬鈴薯』(国木田独歩)
主人公の岡本が、叶うかどうかも分からない自分の願いについて語る場面で、この言葉を引用しています。

朝に道を聞かば夕べに死すとも可なりというのと僕の願とは大に意義を異にしているけれど、その心持は同じです。

対義語

「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」とは正反対に、真理を求めず漫然と過ごす生き方を表す四字熟語があります。

  • 酔生夢死(すいせいむし):
    何も成すことなく、酒に酔ったような心地のままぼんやりと一生を終えること。

「道」とは何か、孔子が里仁篇で説いた基準

この言葉は、『論語』里仁りじん篇にある「子曰く、朝に道を聞かば、夕べに死すとも可なり」という一文がそのまま出典です。
ここでの「道」は、単なる知識や真理一般ではなく、人としてどう生きるべきかという儒教の実践的な教えを指しています。

里仁篇は「仁」の徳を中心に論じた章で、この一文もその文脈の中に置かれています。
孔子が命の長さよりも重んじたのは、抽象的な真理の探究というより、人としての正しいあり方を体得することだったとされています。

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