意味
「雪泥鴻爪(せつでいこうそう)」とは、雪解けのぬかるみに大きな鳥が残した足跡がじきに消えるように、人の営みの跡もはかなく消えていくという意味です。
過去の出来事や思い出のはかなさ、移ろいやすさをしみじみと語る場面で使われます。
- 雪泥(せつでい):雪解けでぬかるんだ泥。
- 鴻爪(こうそう):大きな鳥(鴻)の爪あと。
語源・由来
この言葉は、北宋の詩人である蘇軾の詩「和子由澠池懐旧」の一節に由来します。
蘇軾はこの詩の冒頭で、「人生到る処知んぬ何にか似たる、応に似たるべし飛鴻の雪泥を踏むに」と詠みました。
人の一生はあちこちを渡り歩くものだが、それは何に似ているだろう、きっと空を渡る鳥が雪解けの泥を踏んでいくようなものだ、という意味です。
続く句では、泥の上にたまたま爪の跡を残しても、鳥は飛び去ってしまえば、東へ行ったか西へ行ったかを気にかけることもないと詠んでいます。
使い方・例文
- 古い日記を読み返すと、あの頃の熱意も雪泥鴻爪のように感じられる。
- 栄華を極めた王朝の跡も、今では雪泥鴻爪にすぎない。
「雪泥鴻爪」は、弟と泊まった寺を思う詩から生まれた
「雪泥鴻爪」の由来となった蘇軾の詩は、弟の蘇轍(字は子由)が澠池を懐かしんで詠んだ詩に、同じ韻を使って返した作品です。
兄弟はかつて科挙を受けに行く途中、この地の寺に泊まり、老僧の部屋の壁に詩を書きつけていました。
蘇軾の詩の後半は、その老僧がすでに亡くなって新しい塔に納められ、壁も崩れて昔の詩が見られなくなったことを詠んでいます。
詩は最後に、あの日の険しい旅路をまだ覚えているかと弟に問いかけて結ばれます。
人生のはかなさを語る一節は、兄弟でともに歩んだ日々を懐かしむ、私的な手紙のような詩の中から生まれました。









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