意味
「池塘春草の夢(ちとうしゅんそうのゆめ)」とは、少年・青春時代の楽しさと、それが夢のように過ぎ去るはかなさという意味です。
「池塘」は池の堤のことで、池の堤に生えた春の草の上で見る夢にたとえています。
語源・由来
この言葉は、中国の南宋(= 12〜13世紀の王朝)の朱熹が作ったとされる詩「偶成」の一節が元です。
詩の後半の2句は、次のとおりです。
未覺池塘春草夢,階前梧葉已秋聲。
(池の堤の春草の上で見た夢がまださめないうちに、階段の前の梧の葉は、もう秋の音を立てている。)
「池塘春草」は、南朝宋(= 中国の南北朝時代の王朝)の詩人謝霊運の詩「登池上楼」にある「池塘生春草」(池の堤に春の草が生える)の句をふまえています。
ただし、この詩は朱熹の詩文集には見られず、江戸時代の初めにまとめられた漢詩集『翰林五鳳集』には、室町時代前期の五山僧(= 京都や鎌倉の大きな禅寺の僧)の作として収められています。
そのため、作者が朱熹かどうかは確かではありません。
使い方・例文
- 部活に明け暮れた三年間は、今思えば池塘春草の夢であった。
- 同窓会で旧友と笑い合い、池塘春草の夢のような学生時代を思い出した。
- 卒業アルバムをめくると、池塘春草の夢と呼びたくなる日々がよみがえる。
「池塘春草の夢」と同じ詩に、「少年老い易く学成り難し」がある
詩の前半の2句は、次のとおりです。
少年易老學難成,一寸光陰不可輕。
(少年はすぐに年をとるが、学問はなかなか成し遂げられない。わずかな時間も軽く見てはいけない。)
この2句を読み下した形が、少年老い易く学成り難しと一寸の光陰軽んずべからずです。
前半は寸暇を惜しんで勉強せよという教えで、後半が「池塘春草の夢」の句になります。


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