意味
「鶏鳴狗盗(けいめいくとう)」とは、人前で誇れるようなものではない、ちっぽけな芸や、そうした芸しか持たない者を見下して言う言葉です。
そこから転じて、取るに足りない芸でも、使いどころによっては役に立つというたとえとしても使われます。
また、こそこそと小細工を弄する卑しいやり方を指すこともあります。
- 鶏鳴(けいめい):鶏の鳴き声。ここでは鳴き真似のこと。
- 狗盗(くとう):犬のように忍び込んで物を盗むこと。また、その盗人。
語源・由来
この言葉は、中国の歴史書『史記』に記された、戦国時代の斉の王族で宰相も務めた孟嘗君の脱出劇に由来します。
ある時、孟嘗君は秦に入って昭王から秦の宰相に任じられましたが、斉の王族なので秦より斉を大事にするはずだと王に説く者がいたため、捕らえられて命を狙われました。
そこで使いを送って、王が寵愛する女性に取りなしを頼むと、彼女は見返りに狐の白い毛皮で作った皮衣を求めました。
その皮衣はすでに王に献上してしまっていましたが、孟嘗君が抱えていた客のうち、いちばん末席にいた犬のように忍び込んで盗むのが得意な男が、夜のうちに王の蔵から取り戻しました。
これを女性に贈ると、その口添えで孟嘗君は釈放されました。
一行は急いで国境の関所である函谷関まで逃げましたが、着いたのは夜中で、関所は鶏が鳴くまで門を開けない決まりでした。
追っ手が迫るなか、今度は同じく末席にいた、鶏の鳴き真似が得意な男が鳴き声を上げました。
つられて本物の鶏たちも一斉に鳴き出したため、門が開き、孟嘗君たちは関所を抜けることができました。
秦の追っ手が関所に着いたのは、それから食事一回分ほどの間のことでした。
使い方・例文
この言葉は、自分の特技をへりくだって言う場合や、思わぬ技能が役に立った場面で使われます。
- 昔取った杵柄で、鍵開けの特技がこんな時に役立つとは鶏鳴狗盗だ。
- 学生時代の宴会芸が取引先との距離を縮めるとは、鶏鳴狗盗も侮れない。
- 一芸に秀でているとはいえ、あのやり方は鶏鳴狗盗の類で正攻法とは言えない。
誤用・注意点
本人に向けては使わない
この言葉には「つまらない技」「卑しい者」というネガティブな意味合いが根底にあります。
したがって、相手のファインプレーに対して「素晴らしい! まさに鶏鳴狗盗ですね」と言うのは大変失礼にあたります。
漢字の誤記
「狗盗」を「狗道」と書き間違えるケースが見られます。
「盗み」の話であるため「盗」が正解です。
類義語・関連語
「鶏鳴狗盗」と似た意味や、関連する背景を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 函谷関の鶏鳴(かんこくかんのけいめい):
「鶏鳴狗盗」と全く同じ意味です。由来となった場所の名前を冠しています。 - 狗盗鶏鳴(くとうけいめい):
文字の順序を入れ替えた同義語です。 - 狡兎三窟(こうとさんくつ):
身を守るための逃げ場や策をいくつも用意しておくこと。「鶏鳴狗盗」と同じく、孟嘗君の故事に由来する言葉です。
対義語
「鶏鳴狗盗」とは対照的な意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 正々堂々(せいせいどうどう):
手段や態度が正しく立派なこと。「鶏鳴狗盗」が小細工や奇策を用いるのに対し、正面から正しく挑むさまを表します。 - 正攻法(せいこうほう):
奇策を用いず、定石通りの攻め方をすること。
英語表現
「鶏鳴狗盗」を英語で表現する場合、直訳ではなく、そのニュアンスに近い説明的な表現を用います。
Even a trivial skill can prove useful
直訳は「ささいな技能でも役に立つことがある」で、故事の教訓部分(つまらない技でも役に立つ)を英語で言い表した説明的な表現。
In that situation, even a trivial skill proved useful.
(その状況においては、つまらない特技が役に立った。)
Petty tricks
「小細工」「卑しいごまかし」という意味で、故事の手段(盗みや騙し)に焦点を当てた場合に否定的なニュアンスで使われる表現。
北宋の王安石は、孟嘗君を鶏鳴狗盗の頭目にすぎないと評した
「鶏鳴狗盗」の故事の主人公である孟嘗君は、罪を犯して逃げてきた者まで含めて、数千人の客を養っていたと『史記』に記されています。
盗みと鳴き真似の二人を客の列に加えたとき、ほかの客たちは彼らと並べられることを恥じましたが、秦からの脱出で二人が主人を救ってからは、皆が納得したといいます。
一方、1000年以上のちの北宋の政治家・王安石は、短い文章「読孟嘗君伝」で、世の人がほめる孟嘗君の人集めに異を唱えました。
「孟嘗君特鶏鳴狗盗之雄耳」(鶏鳴狗盗の頭目にすぎない)と書き、鶏鳴狗盗のような者が門下にいたからこそ、本当に優れた人物は集まらなかったのだと論じています。
この文章は、中国の名文を集めた『古文観止』にも収められています。















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