意味
「罰が当たる」とは、ふだんの行いの報いとして、神仏から手痛い仕置きを受けてしまうことを意味します。
子どもへの戒めとして使われることも多く、道徳的な過ちを犯した際の自業自得な結果を、やや戯けた調子で表す場面でも使われる言葉です。
- 罰(ばち):神仏が下す懲らしめ。
- 当たる(あたる):作用が及ぶこと。
語源・由来
「罰が当たる」は、仏教における因果応報の考え方が日本の暮らしに根づく中で生まれてきた言い回しです。
「罰」はもともと仏教用語で、戒律を破った者に科される罰則を意味しており、それが日常語として広まる中で、神仏の意志による懲らしめ全般を指すようになりました。
食べ物を残したり物を粗末にしたりする行為を戒める言葉として、家庭内でしつけのために使われてきた歴史があり、実際の宗教儀礼というより、生活規範を伝える口伝えの表現として定着した側面が強い言葉です。
使い方・例文
「罰が当たる」は、悪い行いに対する報いを戒める場面や、不運を自業自得として語る場面で使われます。
- 食べ物を残すと罰が当たるよ、と祖母によく叱られた。
- 人を騙してばかりいると、いつか罰が当たるぞ。
- あんなに油断していたら罰が当たるのも当然だ。
類義語・関連語
「罰が当たる」と同様に、悪い行いへの報いを表す言葉には以下のようなものがあります。
室町時代の文献にまでさかのぼる、500年以上前の言い回し
「罰が当たる」の「罰」は「ばち」と読み、人間同士の処罰を意味する「ばつ」とは区別される言葉です。
「ばち」は神や仏が与える報いを指し、宗教的な畏れに基づいた言葉として使われてきました。
この言い回しの古い使用例は室町時代の1477年に成立した『土井本周易抄』にさかのぼるとされ、「易を読めば、罰が当るなんどと云ぞ」という一節に見ることができます。
背景には、自分の行いの結果は自分に返ってくるとする仏教の「自業自得」の考え方があります。
神道の神と仏教の仏、両方への畏れが混じり合いながら、この言葉は現在まで使われ続けています。










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