『書経』は、伝説の聖王・堯や舜から、夏・殷・周にかけての王や重臣の言葉・布告を集めた、儒教の基本経典「五経」の一つです。
火を見るよりも明らか、玩物喪志、備えあれば憂いなしといった言葉の多くが、この書物にたどり着きます。
まず『書経』という書物の姿をたどり、そのうえで書物の記述から生まれた言葉10語をまとめました。
『書経』とはどんな書物か
「書」「尚書」、そして「書経」という呼び名の変遷
『書経』は、特定の思想家が一人で著した書物ではなく、伝説の聖王・堯や舜の時代から、夏・殷・周の三代にかけての王や重臣の言葉・布告を集めた書物です。
先秦の時代には単に「書」、あるいは記された時代に応じて「夏書」「商書」「周書」と呼ばれるのが通例でした。
漢代に入って「尚書(しょうしょ)」という呼び名が広く用いられるようになり、南宋の時代に「書経」という呼び名が生まれ、明代以降にこの呼び方が広く普及しました。
古くから「孔子が編纂した」という通説が伝わっていますが、近年の研究ではこれが史実であるとは認められていません。ただし『論語』に『書経』からの引用が見られることから、孔子の時代にはすでに何らかの原初的な『書経』が存在していたと考えられています。
秦の焚書を越えて伝わった「今文」と「偽古文」
秦の始皇帝による焚書坑儒で、『書経』の多くは失われました。
漢の時代、秦の博士だった伏生が壁の中に隠していた29篇を取り出し、当時使われていた隷書体で書き記したものが「今文尚書」と呼ばれています。
その後、東晋の時代に梅賾という人物が「古文尚書」を発見したとして朝廷に献上しましたが、後世の考証によってこれは偽作と判明し、「偽古文尚書」と呼ばれています。
現在に伝わる『書経』は、伏生の今文29篇(33篇に分割)と、梅賾が伝えた偽古文25篇を合わせた、全58篇の形になっています。
また、儒教の基本経典「五経」(易経・書経・詩経・礼記・春秋)の一角も占めています。
『書経』に由来する故事成語10語
『書経』に記された一節が、そのまま日本語の言い回しになったものを集めました。
「盤庚篇」から生まれた3語
- 火を見るよりも明らか(ひをみるよりもあきらか):
疑う余地がないほど、物事の結果や真相がはっきりしていること。
殷の王・盤庚が水害を避けて都を移そうとした際、反対する臣下に「私の見通しは、燃える火を見るようにはっきりしている」と説いた「盤庚上」篇の一節から。 - 燎原の火(りょうげんのひ):
一度勢いがつくと、誰にも止められなくなる物事の広がりのたとえ。
同じ「盤庚上」篇にある「火の原に燎くが若く、嚮邇くべからず」(野に放たれた火のようで、近づくことすらできない)という一節から。 - 星火燎原(せいかりょうげん):
ごくわずかな出来事も、放っておくと手がつけられないほど大きな事態に発展すること。
同じ一節をもとに、王朝の乱れの芽を早いうちに摘む大切さを説いた戒めとして広まった言葉。
「旅獒篇」から生まれた2語
- 玩物喪志(がんぶつそうし):
もてあそぶものに気持ちを奪われて、果たすべき使命や向上心を失うこと。
周の武王が異民族から贈られた犬を喜んで受け取ろうとした際、重臣の召公が「人を玩べば徳を喪い、物を玩べば志を喪う」と諫めた「旅獒」篇の一節から。 - 九仞の功を一簣に虧く(きゅうじんのこうをいっきにかく):
長年積み重ねた努力も、最後のわずかな油断で台無しになってしまうこと。
同じ「旅獒」篇にある「山を為ること九仞、功を一簣に虧く」(九仞の高さまで積んだ山も、最後のもっこ一杯の土を怠れば完成しない)という一節から。
為政者への戒め3語
- 尸位素餐(しいそさん):
地位や役職にありながら、その務めを果たさず、ただ報酬だけを受け取っていること。
「尸位」は『書経』の「太康尸位、以逸豫滅厥徳」(夏の太康は地位にとどまりながら遊興にふけり、その徳を失った)という一節に、「素餐」は『詩経』の一節に、それぞれ由来する語の組み合わせ。 - 習い性と成る(ならいせいとなる):
繰り返した習慣が、やがて生まれつきの性格のように定着すること。
殷の宰相・伊尹が、素行の修まらない若き王・太甲を諫めた「太甲上」篇の「茲れ乃ち不義、習い性と成る」という一節から。 - 面従腹背(めんじゅうふくはい):
表面上は服従しているように見せかけて、内心では反抗していること。
名君の誉れ高い舜が、後継の禹に語った「益稷」篇の「面従して、退きて後言有ること無かれ」(表では従うふりをして、退いてから陰口を言うな)という一節が原型とされ、「面従腹誹」を経て、後に「腹背」と定着した言葉。










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