四字熟語

禅譲放伐

(ぜんじょうほうばつ)

徳のある者に位を譲る禅譲と、暴君を武力で討つ放伐。中国の王朝交代の形。

異形:禅譲・放伐

9文字の言葉 / 「せ・ぜ」から始まる言葉
禅譲放伐 ことば
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意味

「禅譲放伐(ぜんじょうほうばつ)」とは、中国で天子や王朝が入れ替わるときの二つの方式という意味です。
「禅譲」は、天子(= 国を治める君主)が徳のある人を選んで、争わずに位を譲ることです。
「放伐」は、徳を失った君主を武力で追い払ったり討ったりして、位を奪うことです。
また、この二つを行った堯ぎょう・舜しゅん・湯王とうおう・武王の政治を指すこともあります。

  • 禅(ぜん):ゆずること。
  • 放(ほう):追い払うこと。
  • 伐(ばつ):攻めて討つこと。

語源・由来

この言葉は、儒教(= 孔子の教えをもとにした学問)で王朝の交代の形をいう用語です。
「放伐」という言い方は、『孟子』梁恵王りょうけいおう下にある、斉の宣王せんおうと孟子の次の問答に基づきます。

齊宣王問曰:「湯放桀,武王伐紂,有諸?」孟子對曰:「於傳有之。」
(斉の宣王せんおうが「湯王とうおうが桀王けつおうを追放し、武王が紂王ちゅうおうを討ったというが、本当か」と尋ねると、孟子は「言い伝えにそうあります」と答えた。)

宣王せんおうが、家来が主君を殺してよいのかと重ねて問うと、孟子は、仁と義をそこなった紂ちゅうは「一夫」(= ただの一人の男)にすぎないと答えました。
そして、一人の男である紂ちゅうを討ったとは聞くが、主君を殺したとは聞かない、と続けています。
孟子が放伐を認めてからは、禅譲と放伐はどちらも儒家の認める方式になりました。

使い方・例文

  • 世界史の授業で、禅譲放伐という王朝交代の二つの形を習った。
  • 兄は古代中国の禅譲放伐について調べ、夏休みの自由研究にまとめた。
  • 「この王朝の交代は、禅譲放伐のうち放伐にあたる」と先生は説明した。
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禅譲と放伐の違い

どちらも、天命(= 天の命令)を受けた者に位が移るという考え方から、正しいとされた交代の形です。
ただし、位の移り方は大きく異なります。

語句位の移り方主な例
禅譲
(ぜんじょう)
君主が生きているうちに、徳の最も高い臣下を後継ぎに選び、平和に位を譲る形堯ぎょうから舜しゅんへ、舜しゅんから禹うへの交代
放伐
(ほうばつ)
徳を失った君主を、徳のある者が武力で追放したり討ったりして位を奪う形殷いんの湯王とうおうが夏かの桀王けつおうを追放、周の武王が殷いんの紂王ちゅうおうを討伐

堯ぎょうは自分の子の丹朱たんしゅをさしおいて、舜しゅんに位を譲ったとされます。
禅譲と放伐は、天子の姓が易かわる易姓革命の二つの形に数えられます。

「禅譲放伐」の禅譲は形だけのものに

周の武王が殷いんを討とうとしたとき、伯夷はくい・叔斉しゅくせいの兄弟はこれに反対し、首陽山しゅようざんに隠れたと伝えられます。
この話にも見られるように、放伐は禅譲に比べて評判がよくありませんでした。
そのため、実際には力で位を奪う交代でも、形のうえでは禅譲をとるようになりました。

その最初の例は、前漢から位を奪って新という王朝を開いた王莽おうもうです。
その後、3世紀から10世紀にかけて、王朝の交代は十数回ありました。
宋そうの太祖(= 宋を開いた初代の皇帝)が後周こうしゅうの恭帝きょうていから位を譲られるまで、そのすべてがこの形で行われました。
次の君主となる実力者は、まず天子から九錫きゅうしゃく(= 天子が与える9種類の名誉のしるし)を受けます。
続いて位を譲るという詔みことのり(= 天子の命令の文書)が下されても、ていねいに断ることを3度繰り返してから位につくのが決まりでした。

宋そうより後は、異民族の王朝と漢民族の王朝が武力で争ったため、禅譲はすたれて放伐ばかりになりました。

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