意味
「泥船に乗る(どろぶねにのる)」とは、いつ破綻してもおかしくない危険な組織や計画に身を置くことです。
泥で作った船は、水に浮かべるとすぐに溶けて沈んでしまいます。
このことから、今は形を保っていても、近い将来必ずダメになることが分かっているものや、安心できない危うい状況に身を任せることを指します。
語源・由来
「泥船」の由来は、日本の有名な民話『カチカチ山』のエピソードです。
『カチカチ山』は江戸時代の五大昔話の一つに数えられ、赤小本の『兎の手柄』(1673〜80年ごろ)が最古の記録といわれます。
話そのものは室町時代に成立したとみられています。
物語の後半、お婆さんを殺したタヌキを懲らしめるため、ウサギは罠を仕掛けます。
話によって細部は違いますが、たとえば次のような筋です。
- ウサギは「木の船」と「泥の船」を用意する。
- 木の船より一回り大きい泥船を見て、たくさん魚が積めると考えたタヌキが、自分から泥船を選ぶ。
- 沖に出ると、泥が水に溶けて船が崩れ始め、タヌキは沈んでしまう。
この「泥で作った船に乗って沈む」という結末から、破滅が約束された危険な状況に身を投じることを「泥船に乗る」と言うようになりました。

(1908年刊の英訳昔話集の挿絵)
使い方・例文
ビジネスシーンやニュースなどで、倒産寸前の企業や、失敗が確実視されているプロジェクトに参加してしまう人を指してよく使われます。
- 彼の怪しい儲け話に乗るのは、泥船に乗るようなものだから止めておけ。
- 倒産寸前の会社だと知らずに転職し、まんまと泥船に乗ってしまった。
- 支持率が下がり続ける政権に今さら入閣するのは、泥船に乗るようなものだ。
類義語・関連語
「泥船に乗る」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 薄氷を履む(はくひょうをふむ):
薄く張った氷の上を歩くように、非常に危険な状況に臨むことのたとえ。 - 累卵の危うき(るいらんのあやうき):
卵を積み重ねた時のように、少しの衝撃で崩れてしまいそうな極めて不安定な状態。 - 風前の灯火(ふうぜんのともしび):
風の吹きさらす場所にあるロウソクの火のように、今にも消えてしまいそうな危ない状態。
「泥船に乗る」と類義語の違い
いずれも危険な状況のたとえですが、着目している点が異なります。
「泥船に乗る」は自ら危険なものに乗り込むという選択や行為に、「累卵の危うき」と「風前の灯火」はすでに危険な状態にあることに着目しています。
「薄氷を履む」は、いつ割れるか分からない危うさの中を進むことで、沈むと決まっている船に乗る「泥船に乗る」ほど結末ははっきりしていません。
対義語
「泥船に乗る」とは対照的な意味を持つ言葉は以下の通りです。
- 大船に乗る(おおぶねにのる):
大きく丈夫な船に乗った時のように、信頼できるものに任せて安心しきっている様子。
「大船に乗った気持ち(大船に乗ったつもり)」と言うことが多い。 - 盤石の構え(ばんじゃくのかまえ):
巨大な岩のように、どっしりとして少しも揺るがない安定した態勢。
「泥船に乗ったつもりで」という言い方は、「大船に乗ったつもりで」(すっかり安心して任せて)をもじった冗談です。
大船を泥船に替えているので、「まったく安心できない」という逆の意味になります。
英語表現
「泥船に乗る」を英語で表現する場合、“sinking ship”(沈みかかった船)という比喩がよく使われます。
a sinking ship
直訳は「沈みかかった船」で、失敗や倒産が確実視されている組織を表す表現。
泥船に乗る(関わる)ことを表す場合は”board”や”join”を使う。
I realized I had boarded a sinking ship.
(私は自分が泥船に乗ってしまったことに気づいた。)
太宰治のカチカチ山、泥舟のタヌキは少女に恋した中年男
作家の太宰治は、終戦の年(1945年)に刊行した『お伽草紙』で『カチカチ山』を書き換えました。
ウサギは十六歳の美しい少女、タヌキはその少女に惚れている三十七歳の男として描かれます。
ウサギは、板切れの舟は危ないから泥で丈夫な舟を作ろうと持ちかけ、自分で泥をこねてタヌキの舟を作ります。
沈みだした舟でタヌキが騒ぐと、ウサギは「泥の舟だもの、どうせ沈むわ」と言い放ちます。
タヌキが最後に残したことばは「惚れたが悪いか」でした。
惚れた相手を信じて、沈むように作られた舟に乗ったわけです。
太宰は、昔から世界中の悲しい物語の主題はこの一言に尽きると言ってもいい、と書いています。










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