意味
「泥船に乗る」とは、いつ破綻してもおかしくない危険な組織や計画に身を置くことです。
泥で作った船は、水に浮かべるとすぐに溶けて沈んでしまいます。このことから、今は形を保っていても、近い将来必ずダメになることが分かっているものや、安心できない危うい状況に身を任せることを指します。
語源・由来
「泥船」の由来は、日本の有名な民話『カチカチ山』のエピソードです。
物語の後半、お婆さんを殺したタヌキを懲らしめるため、ウサギは次のような罠を仕掛けます。
- ウサギは「木の船」と「泥の船」を用意する。
- 木の船より一回り大きい泥船を見て、たくさん魚が積めると考えたタヌキが、自分から泥船を選ぶ。
- 沖に出ると、泥が水に溶けて船が崩れ始め、タヌキは沈んでしまう。
この「泥で作った船に乗って沈む」という結末から、破滅が約束された危険な状況にあえて身を投じることを「泥船に乗る」と言うようになりました。
使い方・例文
ビジネスシーンやニュースなどで、倒産寸前の企業や、失敗が確実視されているプロジェクトに参加してしまう人を指してよく使われます。
- 彼の怪しい儲け話に乗るのは、泥船に乗るようなものだから止めておけ。
- 倒産寸前の会社だと知らずに転職し、まんまと泥船に乗ってしまった。
- この無謀な計画に参加することは、全員で泥船に乗るのと同義だ。
類義語・関連語
「泥船に乗る」と似た意味を持つ言葉には、以下のようなものがあります。
- 氷の上に座す(こおりのうえにざす):
氷はいずれ溶けることから、非常に危険で不安な場所にいることのたとえ。 - 累卵の危うき(るいらんのあやうき):
卵を積み重ねた時のように、少しの衝撃で崩れてしまいそうな極めて不安定な状態。 - 風前の灯火(ふうぜんのともしび):
風の吹きさらす場所にあるロウソクの火のように、今にも消えてしまいそうな危ない状態。
違いのポイント
「泥船に乗る」は、自ら危険なものに「参加する・乗り込む」という選択や行為に焦点が当たります。一方、「累卵」や「風前の灯火」は、すでにその危険な状態にあることを表します。
対義語
「泥船に乗る」とは対照的な意味を持つ言葉は以下の通りです。
- 大船に乗る(おおぶねにのる):
大きく丈夫な船に乗った時のように、信頼できるものに任せて安心しきっている様子。
「大船に乗った気持ち(大船に乗ったつもり)」と言うことが多い。 - 盤石の構え(ばんじゃくのかまえ):
巨大な岩のように、どっしりとして少しも揺るがない安定した態勢。
英語表現
「泥船に乗る」を英語で表現する場合、“sinking ship”(沈みゆく船)という比喩がよく使われます。
a sinking ship
直訳は「沈みかかった船」で、失敗や倒産が確実視されている組織を表す表現。泥船に乗る(関わる)ことを表す場合は”board”や”join”を使う。
I realized I had boarded a sinking ship.
(私は自分が泥船に乗ってしまったことに気づいた。)
いちばん古い記録と、太宰治の書き換え
この話は江戸時代の五大昔話の一つに数えられ、赤本の『兎の手柄』(1670年代)あたりが古い記録として知られます。
室町時代の末には今の形になっていたと見るのが一般的です。
昭和に入って、太宰治が『お伽草紙』でこの話を書き換えました。
太宰版のウサギは、十代後半の潔癖で純真な、それゆえに冷酷な美少女として描かれます。
タヌキを沈める場面が、仇討ちではなく、報われない片思いの結末として読み替えられています。










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