ことわざ

酒なくて何の己が桜かな

(さけなくてなんのおのれがさくらかな)

酒がなければ、桜がどんなに美しくても、その趣は半減してしまうということ。


17文字の言葉 / 「さ・ざ」から始まる言葉
酒なくて何の己が桜かな ことば
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意味

「酒なくて何の己が桜かな(さけなくてなんのおのれがさくらかな)」とは、酒がなければ、どんなに美しい桜を目の前にしても、その趣は半減してしまうという意味の句です。
花見において、桜そのものの美しさと同じくらい、酒を酌み交わす楽しみが欠かせないものだという価値観を表しています。

語源・由来

「酒なくて何の己が桜かな」は、江戸時代から言われてきた、五・七・五の句の形をとった言葉です。
桜が咲き誇る様子だけを黙って眺めるのではなく、その下で酒を酌み交わしてこそ、花見の楽しみが完成するという考え方が、この句には込められています。

使い方・例文

「酒なくて何の己が桜かな」は、花見の席で酒を楽しむことの大切さを語る場面で使われます。

  • 「酒なくて何の己が桜かな」と言いながら、花見の席で杯を重ねた。
  • 花見に酒を欠かさない祖父は、いつもこの句を口にする。

飛鳥山の桜は吉宗が植えさせた

桜を見ながら酒を飲むという花見の習慣が、身分を問わず庶民にまで広く根づいたのは、江戸時代のことです。
江戸幕府の八代将軍である徳川吉宗は、飛鳥山や隅田川の堤など、江戸の各地に桜を植えさせ、庶民が気兼ねなく楽しめる花見の名所を整備しました。それまで貴族や武家が中心だった花見が、身分にかかわらず誰もが弁当や酒を持ち寄って楽しむ年中行事へと変わっていったのは、この時代からだとされています。
「酒なくて何の己が桜かな」という発想が広く共感を呼んだ背景には、花見が庶民の楽しみとして定着した、こうした歴史的な経緯があります。

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