謝罪会見やお詫びの文書では、ふだんの会話ではあまり使わない、あらたまった言葉がよく登場します。
意味を取り違えやすい言葉もあるため、「恥じ入る・悔やむ気持ち」「責任の認め方」「謝る姿勢」「今後の決意」の4つに分けてまとめました。
恥じ入る・悔やむ気持ちを表す言葉
- 慙愧に堪えない(ざんきにたえない):
自分の過ちを深く恥じ、その気持ちを抑えきれない様子。
「慙愧の念に堪えません」の形でも使われ、身内や部下の不祥事で、責任ある立場の人が謝るときにも用いられる。 - 忸怩たる思い(じくじたるおもい):
自分の至らなさを、内心で深く恥じ入る気持ち。
文化庁の調査では「残念でもどかしい」の意味と受け取る人のほうが多く、本来の意味とずれやすい言葉。 - 汗顔の至り(かんがんのいたり):
顔に汗をかくほど、ひどく恥ずかしく思う様子。
「至り」は「この上ない」という意味で、「汗顔の至りです」のように、改まった場で自分の失敗をわびるときに使う。 - 赤面の至り(せきめんのいたり):
顔が赤くなるほど、恥ずかしく思う様子。
「汗顔の至り」と同じく「至り」で恥ずかしさの度合いを強めた、自分の誤りを認める場面での言い方。 - 面目ない(めんぼくない):
体面を失い、人に顔向けできないほど恥ずかしい様子。
「面目」は世間に対する体面や名誉のこと。
「面目次第もない」の形でも使う。 - 合わせる顔がない(あわせるかおがない):
自分の非を感じて、相手の前に出られない気持ち。
「皆様に合わせる顔がありません」のように、迷惑をかけた相手や期待してくれた人を思い浮かべて使われる。 - 痛恨の極み(つうこんのきわみ):
この上なく残念に思う気持ち。
「痛恨」は心が痛むほど残念がることで、言葉そのものには謝る意味は含まれない。
自分の責任を認める言葉
- 不徳の致すところ(ふとくのいたすところ):
失敗や不都合は、自分の至らなさが招いたものだとする決まり文句。
「すべて私の不徳の致すところです」のように、謝罪の場で責任を自分で引き受けるときに使う。 - 不行き届き(ふゆきとどき):
注意や配慮が、隅々まで行き渡らないこと。
部下や組織の不始末について、上に立つ人が「監督不行き届き」のように自分の落ち度として認めるときに使われる。 - 身から出た錆(みからでたさび):
自分のした悪い行いのせいで、自分が苦しむこと。
刀の錆が刀身そのものから出ることにたとえた言葉で、「身から出た錆です」と自分の非を認める形でも使う。
謝る姿勢を表す言葉
- 平身低頭(へいしんていとう):
体をかがめ頭を低く下げて、ひたすら恐れ入る様子。
「平身低頭して謝る」のように、謝る姿勢の低さを強く表す言い方。 - 平謝り(ひらあやまり):
ひたすら謝ること。
「平謝りに謝る」のように使い、事情の説明よりも、謝ること自体に重きを置いた言い方。 - 陳謝(ちんしゃ):
事情を説明したうえで、わびること。
「陳」は述べるという意味で、なぜそうなったかを説明する点が「平謝り」との違い。 - 頭を下げる(あたまをさげる):
おじぎをすること。
そこから、謝る意味でも使う。
「彼の努力には頭を下げずにはいられない」のように、感服する意味もあるので、文脈で見分ける。 - 頭を丸める(あたまをまるめる):
髪をそること。
もとは髪をそって僧になる出家を指し、「頭を丸めてわびる」のように、反省の気持ちを形で示すときにも使う。
今後の決意を表す言葉
- 肝に銘じる(きもにめいじる):
忘れないよう、心に深く刻みつけること。
「今回のことを肝に銘じ」のように、同じ過ちを繰り返さない決意を示すときに使われる。 - 襟を正す(えりをただす):
それまでの態度を改めて、気持ちを引き締めること。
もとは乱れた衣服や姿勢を整えるという意味で、そこから気持ちの面にも使う。 - 猛省(もうせい):
きびしく反省すること。
「猛省しております」と自分に使うほか、「猛省を促す」のように、相手に強い反省を求めるときにも使う。
謝罪の言葉、出どころは仏教と中国古典
この一覧に並ぶ硬い言葉には、仏教や中国の古典から入ってきたものがいくつもあります。
「慙愧に堪えない」の「慙愧」という言葉は、もとは仏教の言葉です。
仏教では、心の中で自分を恥じることを「慙」、その恥を人に向けて表すことを「愧」と呼び分けていました。
「襟を正す」は、中国・宋の詩人蘇軾が書いた「前赤壁賦」がもとになっています。
客の吹く笛の悲しい音色を聞いた蘇軾が、襟を正して座り直す場面です。
「忸怩たる思い」の「忸怩」も、儒教の経典『書経』に出てくる言葉です。
「不徳の致すところ」の「不徳」は、中国の歴史書『史記』に何度も登場します。
漢の文帝は、日食が起きたのは自分の不徳のせいだとする詔(= 皇帝の命令書)を出しています。








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