意味
「掌中の珠(しょうちゅうのたま)」とは、手のひらに載せた宝玉のように、この上なく大切にしているものという意味です。
特に、親がいつくしんで育てている最愛の子どものたとえとして使います。
妻や家族をたとえていうこともあります。
「掌中の玉」とも書きます。
- 掌中(しょうちゅう):手のひらの中。
- 珠(たま):真珠などの丸い宝石。
語源・由来
この言葉は、三世紀の中国、西晋(= 中国の王朝の一つ)の時代の文人、傅玄の詩「短歌行」にある、次の一節が由来です。
昔君視我、如掌中珠。何意一朝、棄我溝渠。
(昔、あなたは私を手のひらの中の珠のように見ていたのに、どうしてある日、私をどぶに捨てたのですか)
愛する人に捨てられた悲しみをうたった一節で、大切にされていた昔の自分を「掌中珠」にたとえています。
使い方・例文
- 祖父母は初めての孫を掌中の珠のようにかわいがり、毎週会いに来る。
- 一人娘を掌中の珠として育ててきた父は、結婚式で涙をこらえきれなかった。
- 師から譲られた古い万年筆は、彼にとって掌中の珠だ。
類義語・関連語
大切にしているものや、かわいがっている子どもを表す語です。
- 掌珠(しょうしゅ):
手の中にある珠玉。大切なもののたとえ。 - 目に入れても痛くない(めにいれてもいたくない):
子どもや孫がかわいくてたまらない様子。
英語表現
the apple of one’s eye
最も大切な人、特にかわいがっている子どもを指す言い回し。
His daughter is the apple of his eye.
(娘は彼にとって掌中の珠だ。)
泉鏡花は『湯島詣』で「掌中の珠」を「掌中の玉」と書いた
明治時代の作家泉鏡花は、小説『湯島詣』(1899年)で「掌中の玉」の形を使っています。
主人公の神月梓は、芸者の蝶吉を落籍そう(= 身請けしよう)と考えながら、以前に懐へ入れた鶯が籠の届く前に死んでしまったことなどが心に懸かり、踏み切れずにいます。
その迷いは、次のように書かれています。
以来心に懸って、蝶吉を落籍そうと思うたびに、さることはあらじと知りながら、幼い時からの感情で、羽織の同一のが兆をなして、恐らく、我が手に彼を救うてこれを掌中の玉とせんか、時を措かず砕けるのである。
(泉鏡花『湯島詣』1899年)
大切に手元へ置こうとすれば、玉のようにたちまち砕けてしまうと恐れる場面で、「玉」の字が「砕ける」と結びついています。



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