意味
「村夫子(そんぷうし)」とは、村に住む学者や、田舎の先生という意味です。
そこから、ものの見方がせまい学者をあざけって呼ぶときにも使われます。
「夫子(ふうし)」は先生を敬って呼ぶ語で、それに「村」を付けた形です。
読みは「そんふうし」とも言います。
語源・由来
この言葉は、南宋の詩人陸游の詩「春日雑興」に見えます。
役人をやめたあとの暮らしをうたった四句の詩で、後半の二句に出てきます。
今朝偶遇村夫子,借得齊民一卷書
(今朝たまたま村の先生に出会い、斉民の書を一巻借りることができた。)
ここでの村夫子は、書物を貸してくれた村の先生です。
使い方・例文
人に向けて使うと、相手の学識を見下す悪口になります。
- 江戸の末、わが家の先祖は村夫子として読み書きを教えていた。
- 彼は外の研究を知ろうとせず、仲間から村夫子と陰口をたたかれた。
使うときの注意
「村夫子」をあざけりに使うと、住んでいる土地を理由に、相手の学識を低く見る言い方になります。
地方で学び、教えている人を、田舎にいるというだけで劣っているかのように扱うため、相手を深く傷つけます。
漢詩や近代の小説を読むときや、昔の用例を説明するときは、そのまま使ってかまいません。
人の見識のせまさを言いたいときは、「視野がせまい」「考えがかたよっている」のように、土地と結びつけない言い方にします。
杜甫も「村夫子」と呼ばれた
宋代の書物『紺珠集』には、北宋の楊大年(楊億)が杜甫の詩を好まず、杜甫を村夫子と呼んだという記事があります。
大年不喜老杜詩甞謂之村夫子未曉其意
(大年は杜甫の詩を好まず、かつて杜甫を村夫子と呼んだ。その意図はよく分からない。)
楊億は唐の李商隠の詩の作り方をまねた人で、ここでの村夫子は杜甫をけなす言葉として使われています。



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