お正月や結婚、成功の報告など、人生の節目にはお祝いの場面がつきものです。
こうした慶事や幸運を祝い、さらなる繁栄を願うために使われてきたのが、めでたい言葉の数々です。
相手の幸せを称え、喜びを分かち合うために受け継がれてきた日本語の知恵を、意味や背景とともに整理して紹介します。
人生の門出や長寿を祝う言葉
長生きや、末永い夫婦の縁を祝うときにふさわしい言葉です。
鶴は千年、亀は万年(つるはせんねんかめはまんねん)
長寿を心から祝い、末永い幸せを願う際に使われる代表的な言葉です。
中国の伝説で、鶴は千年、亀は万年の寿命を持つ霊妙な生き物とされたことに基づいています。
還暦などの長寿祝いだけでなく、新築祝いや創業記念など、物事が長く続くことを願う慶事でも用いられます。
不老長寿(ふろうちょうじゅ)
いつまでも老いず、長生きすることです。
「不老長生」とも言います。
還暦や喜寿などの長寿祝いで、いつまでも元気でいてほしいという願いを込めて使われます。
松竹梅(しょうちくばい)
お祝い事の象徴として、縁起の良い三つの植物を合わせた言葉です。
冬の寒さの中でも松と竹は緑を保ち、梅は花を咲かせることから、古くから「歳寒の三友」と呼ばれ、めでたいものとされてきました。
お正月の飾りや祝い事の飾り、画題などに用いられます。
比翼連理(ひよくれんり)
夫婦の情愛が極めて深く、仲睦まじいことの例えです。
翼を並べて飛ぶ想像上の鳥「比翼の鳥」と、二本の木の枝がつながった「連理の枝」を合わせた言葉で、唐の詩人白居易の詩「長恨歌」に由来します。
結婚式の祝辞などで、理想の夫婦を表す言葉として使われます。
高砂(たかさご)
世阿弥作の謡曲『高砂』のことで、祝言の曲として知られます。
高砂の浦に現れた老夫婦が、高砂と住吉の二本の松を「相生の松」と呼ぶいわれや、松のめでたさを語る筋です。
かつての結婚披露宴では、新郎新婦の末永い和合を祈ってこの謡をうたうのが習わしでした。
偕老同穴(かいろうどうけつ)
夫婦が仲良く共に老い、死後も同じ墓に葬られるほど深い絆で結ばれていることを指します。
中国最古の詩集『詩経』の別々の詩に見える「偕老」と「同穴」を続けた言葉で、「偕老」は共に老いること、「同穴」は同じ穴(墓)に葬られることを意味します。
夫婦の不変の愛を称える、重みのあるめでたい言葉です。
琴瑟相和す(きんしつあいわす)
夫婦の仲が極めて睦まじいことの例えです。
「琴」と「瑟」はどちらも中国の弦楽器で、この二つの音色が美しく調和することに由来します。
家庭内の平和や、夫婦が互いに尊重し合って暮らしている様子を称える表現です。
幸運や思わぬ喜びを表す言葉
予期せぬラッキーな出来事や不思議な巡り合わせ、うれしいことが重なる喜びを表す言葉です。
瓢箪から駒(ひょうたんからこま)
意外なところから意外なものが出ること、または冗談で言ったことが現実になることを言います。
中国の仙人、張果老が乗り物の白いロバを休むときに瓢箪へしまっていたという伝説が、成り立ちに影響したとされます。
思いもよらない幸運が舞い込んだ際や、奇跡的な展開を喜ぶ場面で使われます。
棚からぼたもち(たなからぼたもち)
思いがけない幸運が、努力なしに舞い込んでくることを言います。
棚の上に置いてあったぼた餅が、偶然にも寝ている口の中に落ちてきたという比喩に基づいています。
予想もしなかった嬉しい知らせを素直に喜ぶ文脈で使われます。
果報は寝て待て(かほうはねてまて)
幸運は人間の力で制御できるものではないから、焦らずに時機を待つのが良いという意味です。
「果報」は、もとは前世の行いの報いを指す語で、日本では多くよい報いの意味で使われます。
吉報を待つ人への励ましとしても使われます。
残り物には福がある(のこりものにはふくがある)
人が取り残したものや、最後に残ったものの中に、意外な幸運が隠されているという意味です。
先を争わない人に、かえって幸運が回ってくるという含みもあります。
順番が後になった人を慰めるときにもよく使われます。
渡りに船(わたりにふね)
困っているときに、ちょうど欲しかった助けや、好都合な状況が訪れることです。
川を渡ろうとして困っているところに、絶好のタイミングで渡し船がやってくる様子から来ています。
探し求めていた協力者が現れた際など、巡り合わせの妙を実感する瞬間に使われます。
海老で鯛を釣る(えびでたいをつる)
小さな負担やわずかな手間で、非常に大きな利益や成果を得ることを言います。
安いエビを餌にして、高価でめでたい魚の代名詞であるタイを釣り上げるという比喩に由来します。
謙虚に「ほんの気持ちで贈ったものなのに、こんな立派なお返しをいただいて」と感謝する場面でも使われます。
一富士二鷹三茄子(いちふじにたかさんなすび)
初夢に見ると縁起がよいとされるものを、よい順に並べた言葉です。
江戸時代から言われており、徳川家康ゆかりの駿河(今の静岡県)の名物を並べたとする説などがありますが、はっきりしません。
江戸時代の浮世絵や明治時代の引札(広告のちらし)にも、初夢の図柄としてよく描かれました。
盆と正月が一緒に来たよう(ぼんとしょうがつがいっしょにきたよう)
うれしいことが一度に重なることのたとえで、ひどく忙しいことのたとえにも使われます。
盆と正月は一年で特に楽しみな時期で、住み込みの奉公人が休みをもらって親元へ帰れる「藪入り」も、正月と盆の年2回でした。
就職と結婚が同じ年に決まったときなど、喜びが重なった場面で使います。
錦上花を添える(きんじょうはなをそえる)
よいことの上に、さらによいことが重なるたとえです。
錦の布の上にさらに花を飾るという意味で、宋の王安石が宴の歌声をたたえた詩「即事」の句に由来します。
祝賀会の当日に受賞の知らせが届いたときなど、晴れの場にさらに喜びが加わる場面で使われます。
繁栄や成功を称える言葉
仕事や事業の成功、あるいは組織が勢いづく様子を祝う言葉です。
千客万来(せんきゃくばんらい)
多くのお客がひっきりなしに訪れ、商売が非常に繁盛している様子を言います。
「千」や「万」は数が多いことの例えで、途切れずに客が来る様子を表しています。
新店舗のオープン祝いや、イベントが大盛況のうちに幕を閉じた際など、成功を祝う言葉として使われます。
錦を飾る(にしきをかざる)
立身出世して成功を収め、晴れがましい姿で故郷に帰ることを言います。
豪華な織物である「錦」の衣服を身にまとって帰郷するという比喩に基づいています。
満願成就(まんがんじょうじゅ)
神仏への祈願の期間が満了し、願いが叶うことを言います。
長年の努力や祈りがついに実を結び、目的を達成した際の深い喜びと達成感を称える言葉です。
資格試験の合格や、困難なプロジェクトの完遂などを祝う場面にふさわしい表現です。
登竜門(とうりゅうもん)
立身出世のための関門、あるいは成功への足がかりとなる重要な試験や機会を指します。
中国の黄河にある急流「竜門」を登りきった鯉は竜になる、という伝説に由来する言葉で、『後漢書』に見えます。
厳しい競争を勝ち抜き、輝かしい未来を掴んだ人を祝福する文脈で多く用いられます。
旭日昇天(きょくじつしょうてん)
朝の太陽が勢いよく天に昇っていくように、飛ぶ鳥を落とす勢いで発展していく様子を指します。
新しいプロジェクトの立ち上げや、若手が目覚ましい活躍を見せている場面で、門出を祝う言葉として使われます。
万々歳(ばんばんざい)
これ以上ないほど非常に喜ばしいこと、あるいは物事が完璧に解決したことを祝う言葉です。
「万歳」を重ねて強めた形です。
期待以上の結果が出たときや、気がかりだったことが解決したときに使います。
状況の好転や平和を喜ぶ言葉
困難を乗り越えたあとの安らぎや、逆境をチャンスに変えた知恵を称える言葉です。
笑う門には福来たる(わらうかどにはふくきたる)
いつも明るく、笑い声が絶えない家には自然と幸福がやってくるという意味です。
「門」は家や家族を表しています。
苦しいときこそ明るく振る舞えば運が開ける、という励ましにも使われます。
一陽来復(いちようらいふく)
苦しい時期が終わり、ようやく物事が良い方向へ向かい始めることを意味します。
易で、陰がきわまったあと冬至に陽が初めて生じることを指した言葉に由来します。
不遇の時代を脱し、新しい希望の光が見えたときに使われます。
雨降って地固まる(あめふってじかたまる)
紛争や揉め事があったあと、かえって以前よりも良い状態になり、基礎が固まることを言います。
雨が降って地面が一度ぬかるんでも、そのあとに乾くと、以前よりも地面が硬く締まるという自然の摂理に由来します。
人間関係の修復や、困難を乗り越えたチームの結束を祝う際に贈られます。
禍を転じて福と為す(わざわいをてんじてふくとなす)
身に降りかかった災難を、逆に自分の有利になるように活用して、幸せに繋げることです。
『戦国策』や『史記』にある言葉に由来します。
失敗をバネにしてより大きな成功を掴み取った人を称える言葉です。
待てば海路の日和あり(まてばかいろのひよりあり)
今は状況が悪くても、焦らず待っていれば、いずれ絶好の機会(日和)がやってくるという意味です。
「待てば甘露の日和あり」を言い換えた形とされます。
思うようにいかない人を励ます場面で使われます。
終わり良ければすべて良し(おわりよければすべてよし)
途中の経過に多少の不手際があっても、結果が良ければそれで良いという意味です。
最後を「めでたい」形で締めくくることができれば、それまでの苦労もすべて報われるという前向きな考え方です。
紆余曲折を経てようやく成功に辿り着いた人を、温かく労う際に使われます。
この上ない幸せを表す言葉
慶事そのものを祝う言葉とは別に、その幸せを受け取った側の気持ちを表す言葉があります。
手紙やあいさつで使えるあらたまった言い方から、日々の暮らしの幸福を指す四字熟語まで並べました。
幸甚の至り(こうじんのいたり)
これ以上ない幸せだと感じている気持ちを、あらたまった場で伝える言い方です。
「幸甚」は「この上もない幸せ。大変ありがたいこと」の意味で、手紙文では「幸甚に存じます」の形でも使われます。
祝いの席で厚意を受けたときや、お礼状で喜びを伝えたいときに向いています。
冥利に尽きる(みょうりにつきる)
その立場にいる者として、これ以上の幸せはないと感じることです。
「冥利」は、知らないうちに授かっている神仏の加護を指す仏教語です。
「役者冥利に尽きる」「親冥利に尽きる」のように、立場を表す語を上に付けて使います。
幸せを噛みしめる(しあわせをかみしめる)
手に入れた幸せを、急がずにじっくりと味わうことです。
「噛みしめる」には、物をよく噛んで味わうことから転じて、意味や感情を深く受け止めるという使い方があります。
望みがかなった直後よりも、少し落ち着いてから振り返る場面で使われます。
一家団欒(いっかだんらん)
家族が集まって、なごやかに楽しい時間を過ごすことです。
「団欒」は丸いことを表す語で、親しい者が車座になって語り合う様子も指します。
派手な慶事ではなく、日々の暮らしの中にある幸せを言い表すときに使われます。
無病息災(むびょうそくさい)
病気をせず、健康で穏やかに暮らせていることです。
「息災」はもともと仏の力で災いを止めることを指す語で、そこから健康である意味で使われるようになりました。
年始の願い事や、お守り・のし紙の言葉としてもなじみのある四字熟語です。
和気藹々(わきあいあい)
和やかな気分がその場に満ちあふれ、人々が仲良く楽しんでいる様子です。
祝いの席や家族の集まりが、よい雰囲気で進んでいることを伝える言葉です。
「和気藹藹」と重ねて書くほか、「和気靄靄」「和気あいあい」の表記もあります。
「めでたい」の「めで」は「愛でる」
「めでたい」は、ほめる・心ひかれるという意味の「愛ず」(今の「愛でる」)に、程度がはなはだしいことを表す「いたし」が付いた「めでいたし」が縮まった語です。
「目出度い」と書くのは、音に合わせて字を当てた当て字です。
古くは祝い事に限らず、すばらしいものをほめるときにも使われました。
平安時代の『伊勢物語』には「散ればこそいとど桜はめでたけれ」(散るからこそ、桜はいっそうすばらしい)という歌があり、ここでは桜の見事さをたたえています。
今でも「社長の覚えがめでたい」と言えば、祝うのではなく「社長に気に入られている」という意味です。
反対に「おめでたい人」と言うと、お人よしでだまされやすい人のことで、ほめ言葉にはなりません。









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