『三国志』は、西晋の歴史家陳寿(233〜297年)が編んだ歴史書で、魏志30巻・呉志20巻・蜀志15巻、全65巻からなります。
南朝宋の裴松之による詳しい注釈が付けられていることでも知られ、本文だけでなく注に引用された逸話から生まれた言葉も少なくありません。
三顧の礼や水魚の交わりのように、人物どうしのやりとりから生まれた言葉が、そのまま現代語として使われています。
歴史書『三国志』の記述に由来する言葉を、蜀・魏・呉の人物ごとに19語まとめました。
蜀の人々から生まれた言葉
劉備と諸葛亮をめぐる逸話を中心に、蜀に関わった人物の話から生まれた言葉です。
二人が出会う前の逸話から、諸葛亮の死後の逸話までを収めています。
- 髀肉の嘆(ひにくのたん):
功名を立てる機会のないまま歳月を過ごすことを嘆くこと。
劉備が荊州の劉表のもとに身を寄せていた頃、長く馬に乗らず腿に贅肉がついたのに気づいて嘆いたという逸話から。 - 伏竜鳳雛(ふくりょうほうすう):
世に知られていない優れた人物と、将来を期待される若者のたとえ。
劉備に土地の人材を問われた評論家が、諸葛亮を含む二人を評した言葉。 - 三顧の礼(さんこのれい):
目上の者が自ら足を運び、礼を尽くして有能な人物を招く態度。
劉備が諸葛亮の住まいを三度訪ね、三度目にようやく対面できた出来事から。 - 水魚の交わり(すいぎょのまじわり):
たがいに欠かせない、離れがたいほど親密な間柄。
劉備が古参の家臣に、自分と諸葛亮の仲を魚と水にたとえて説いた言葉。 - 水を得た魚(みずをえたうお):
自分に合う場を得て、生き生きと力を発揮している様子。
関係そのものを指す水魚の交わりに対し、こちらは人の状態をとらえた言い方。 - 如魚得水(じょぎょとくすい):
魚に水があるようだ、という劉備の言葉を四字の漢語にした形。
信頼できる相手や環境を得て、実力を存分に出せる状況を指す。 - 危急存亡の秋(ききゅうそんぼうのとき):
組織や国が生き残るか滅びるかの瀬戸際。
諸葛亮が出陣にあたって劉禅に奉った「出師の表」の一節から。 - 泣いて馬謖を斬る(ないてばしょくをきる):
規律を守るためには、たとえ愛する者でも例外なく処分するということ。
北伐で命令に背いて大敗を招いた愛弟子の馬謖を、諸葛亮が涙をのんで処刑した故事から。 - 白眉(はくび):
同類のなかでとりわけ優れている人や物。
優秀な五人兄弟のうち、眉に白い毛が混じる馬良が最もすぐれていると評された話に基づく。 - 寝食を忘れる(しんしょくをわすれる):
眠ることも食べることも忘れるほど、一つのことに打ち込む様子。
蜀の学者が書物を読みふけり、一人で笑い出すほど没頭したという記述から。 - 死せる孔明生ける仲達を走らす(しせるこうめい いけるちゅうたつをはしらす):
優れた人物は、死してなおその威光で相手を恐れさせるということ。
諸葛亮(孔明)の陣没後に撤退する蜀軍を魏の司馬懿(仲達)が追撃したが、蜀軍が反撃の構えを見せたため退いたという逸話から。
魏の人々から生まれた言葉
魏では、人材をどう見きわめるか、書物にどう向き合うかを語った言葉が残りました。
- 画餅(がべい):
実際には役に立たないもの、あるいは実現の見込みがない計画。
名声だけで人を選ぶなと戒めた明帝が、名声を地面に描いた餅にたとえた言葉。 - 絵に描いた餅(えにかいたもち):
見た目だけ立派で実際には役に立たないものや、実現の見込みがない計画のたとえ。
どんなに上手に描いてあっても食べられないところからいい、画餅と同じ意味で使われる。 - 読書百遍意自ずから通ず(どくしょひゃっぺんいおのずからつうず):
難しい書物も、繰り返し読むうちに自然と意味が分かってくるという教え。
魏の学者が、教えを乞いに来た人にまず百遍読むよう説いたことに由来する。 - 読書三余(どくしょさんよ):
冬・夜・雨の日という、読書に充てるのにふさわしい三つの時のこと。
冬は年の余り、夜は日の余り、雨の日は時の余りとした、読書百遍意自ずから通ずと同じ学者・董遇の言葉。
呉の人々から生まれた言葉
呉の武将・呂蒙が学問に励んで見違えるほど成長した逸話から三つの言い方が、もう一人の武将・朱然を評した言葉から一つの言い方が生まれています。
- 常在戦場(じょうざいせんじょう):
常に戦場にいるかのように、気を引き締めて事にあたるべきだという教え。
呉の武将・朱然を評した「終日欽欽、常在戦場」の一節から。 - 呉下の阿蒙にあらず(ごかのあもうにあらず):
以前とは見違えるほど成長し、もう昔のその人ではないという評価。
学問に励んだ呂蒙と語り合った魯粛が、その見識の高さに驚いて述べた言葉。 - 男子三日会わざれば刮目して見よ(だんしみっかあわざればかつもくしてみよ):
しばらく会わない間に、人は見違えるほど成長しているものだという教え。
呂蒙が魯粛に返した言葉が、日本語のことわざの形になったもの。 - 刮目相待(かつもくそうたい):
人の進歩がめざましいときは、見方を改めて注意深く見直すべきだという意味。
「刮目して相待すべし」という呂蒙の言葉を四字にまとめた形。
本文ではなく注に載っている話
刮目相待、伏竜鳳雛、読書百遍意自ずから通ず、読書三余の逸話は、『三国志』の本文ではなく、後世に裴松之がつけた注のほうに載っています。
注が引いているのは『江表伝』『襄陽記』『魏略』といった別の書物で、人物のやりとりや細かい場面はそちらに書き残されました。
呉下の阿蒙にあらずも、呂蒙伝の注に見える言葉です。
一方、常在戦場は朱然を評した一節として『三国志』呉書の本文そのものに記されています。
書名としては同じ『三国志』でも、言葉の出どころは本文と注に分かれています。










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