『春秋左氏伝』は、『論語』『孟子』『荘子』『老子』『韓非子』『戦国策』と並ぶ中国古典でありながら、孔子が編んだとされる年代記『春秋』に、生き生きとした物語を付け加えた歴史書です。
牛耳、食指が動く、備えあれば憂いなしといった言葉の多くが、この書物にたどり着きます。
まず『春秋左氏伝』という書物の姿をたどり、そのうえで書物の記述から生まれた言葉18語と、語源の一部にある言葉1語をまとめました。
『春秋左氏伝』とはどんな書物か
左丘明という人物と、三伝の中での位置づけ
『春秋左氏伝』は、魯の左丘明が著したと伝えられていますが、その実在や経歴には不確かな点が多く、確実なことは分かっていません。
孔子が編纂したとされる年代記『春秋』を解説する書物は、『春秋左氏伝』のほかに『公羊伝』『穀梁伝』があり、あわせて「春秋三伝」と呼ばれます。
公羊伝・穀梁伝は、『春秋』の一字一句に込められた大義名分を読み解く注釈書としての性格が強い書物です。
これに対し、『春秋左氏伝』は史実の経緯や人物のやりとりを生き生きと描く物語としての完成度が高く、中国最古の本格的な歴史文学ともいわれます。
この物語としての魅力が、後世の司馬遷が『史記』を著す際にも重要な材料になったとされています。
魯の年代記に基づく、編年体の構成
『春秋左氏伝』は、魯の隠公元年(紀元前722年)から哀公二十七年(紀元前468年)までの、約250年間の出来事を年代順に記した「編年体」の歴史書です。
もとになった『春秋』本文が哀公十四年(紀元前481年)で終わっているのに対し、『春秋左氏伝』はその先まで記述を続けています。
この時代は、周王室の権威が衰え、有力な諸侯や家臣がしのぎを削った時期で、『春秋』の書名にちなんで「春秋時代」と呼ばれます。
諸侯の会盟や合戦、家臣同士の駆け引きなど、簡潔な『春秋』本文だけでは分からない具体的な経緯が数多く記されており、ここから多くのことわざ・故事成語が生まれました。
『春秋左氏伝』に由来する故事成語18語
『春秋左氏伝』に記された故事や言葉が、そのまま日本語の言い回しになったものを集めました。
外交と国家の駆け引き6語
- 風馬牛(ふうばぎゅう):
互いに何の関係もないこと。
斉が楚へ攻め込もうとした際、楚の使者が「あなたの国とこちらは、さかりのついた馬や牛でさえ行き着けないほど遠い(風馬牛も相及ばざるなり)」と抗議した「僖公四年」の記述から。 - 抜本塞源(ばっぽんそくげん):
災いのもとを根本から絶つこと。
周の王が晋に向け、自分たちの関係を根や水源にたとえ、それを断ち切ることの重大さを訴えた「昭公九年」の一節「本を抜き源を塞ぎ」から。もとは否定的な意味の文脈だった。 - 弥縫策(びほうさく):
その場しのぎの、一時的な対応策。
周と鄭の戦いで、鄭軍が戦車の陣形の隙間を歩兵で埋めて補ったことを「伍、弥縫を承く」と記した「桓公五年」の一節から。 - 鼎の軽重を問う(かなえのけいちょうをとう):
権力者の実力や地位を軽んじ、その座を奪おうとすること。
楚の荘王が周の使者に、天子の宝器である九つの鼎の重さを尋ね、「天子の徳があれば鼎は小さくても重い」とたしなめられた「宣公三年」の故事から。 - 城下の盟(じょうかのめい):
敵に城下まで攻め込まれ、包囲された末に結ぶ、屈辱的な講和のこと。
楚が小国・絞を攻めて大敗させ、城門の下で盟約を結ばせて引き上げたという「桓公十二年」の記述から。 - 唇亡歯寒(しんぼうしかん):
助け合う関係にある一方が滅びれば、もう一方も危うくなるということ。
晋が虢を討つため隣国・虞に道を貸すよう求めた際、虞の家臣が「輔車相依り、唇亡びて歯寒し」ということわざを引き、虞と虢はこの間柄だと諫めたが聞き入れられず、虢の滅亡後に虞も滅ぼされたという「僖公五年」の故事から。
言葉と誠実さをめぐる3語
- 食言(しょくげん):
約束を破ること。
一度口から出した言葉を、また口に入れてしまう意。「哀公二十五年」に、次の話がある。宴席で孟武伯が、哀公の御者・郭重を「なぜそんなに太っているのか」とからかった。すると哀公が「言葉を食べることが多ければ、太らずにいられようか(是れ食言多し、能く肥ゆること無からんや)」と言い、約束を守らない孟武伯を当てこすった。 - 断章取義(だんしょうしゅぎ):
文章の一部だけを都合よく取り出して、本来と違う意味に用いること。
斉の盧蒲癸が、同姓の娘を妻にしたことをとがめられ、「詩を賦するに章を断つ、余は求むる所を取る(詩を引くときに一章だけを切り取るように、自分も求めるものだけを取る)」と答えた「襄公二十八年」の記述から。 - 勧善懲悪(かんぜんちょうあく):
善行を勧め、悪行を懲らしめること。
『春秋』の記述の姿勢を讃えて「悪を懲らしめ善を勧める(懲悪而勧善)のは、聖人でなければ誰にできようか」と述べた「成公十四年」の一節から。
備えと後悔をめぐる3語
- 備えあれば憂いなし(そなえあればうれいなし):
普段から準備をしておけば、いざという時に困らないということ。
『書経』説命中の「備え有れば患い無し」から。「襄公十一年」では、晋の家臣・魏絳が君主を戒める言葉の中で、『書』の一節として「安きに居りて危うきを思う、思えば則ち備えあり、備えあれば患い無し」を引いている。 - ほぞを噛む(ほぞをかむ):
取り返しのつかないことを、激しく悔やむこと。
楚の文王を討つよう進言された鄧の君主がこれを聞き入れず、のちに攻め滅ぼされたという「荘公六年」の故事から。進言した鄧侯の甥たちは「早く手を打たなければ、後で君はほぞを噛むことになります」と述べている。 - 内憂外患(ないゆうがいかん):
国内にも国外にも、問題や心配事が同時にあること。
「成公十六年」には、鄢陵の戦いを前に晋の范文子が「聖人でなければ、外が安らかなときは必ず内に憂いが生じる」と述べ、楚と戦わずに外の脅威を残そうとした記述がある。
人の欲望と実権をめぐる3語
- 食指が動く(しょくしがうごく):
欲望や興味が、心の中に湧き起こること。
鄭の貴族・子公が、ご馳走にありつける前には決まって人差し指が動くという癖を持っており、その日も宮殿で巨大なスッポン料理に出会えたという故事から。 - 牛耳(ぎゅうじ):
牛の耳。
「牛耳を執る」の形で、組織や集団の中心となって実権を握ることをいい、「牛耳る」の語源にもなった。諸侯が盟約を結ぶ際、牛の耳を裂いてその血をすすって誓い、その耳を執る者が盟主とされたことから。「哀公十七年」には、魯の孟武伯が「諸侯の盟では、誰が牛耳を執るのか」と尋ねた記述がある。 - 一薫一蕕(いっくんいちゆう):
善いものより悪いものの影響のほうが、長く残りやすいこと。
「一本の香草と一本の臭い草を一緒にしておくと、十年経ってもなお臭い草の悪臭が残る(一薫一蕕、十年尚猶臭あり)」という一節から。
待つことの虚しさと妖異3語
- 百年の河清を俟つ(ひゃくねんのかせいをまつ):
実現の見込みがないことを、いつまでも当てにして待つこと。
大国・楚に攻められた鄭の家老・子駟が、「黄河が澄むのを待っていたら人の寿命が足りない」という古詩を引き、当てにならない援軍を待つより降伏すべきだと説いた「襄公八年」の故事から。 - 魑魅魍魎(ちみもうりょう):
山や川、沢などに潜むとされる、さまざまな化け物の総称。
夏の王が鼎に万物の姿を写して民に悪しきものを見分けさせたので、民が山林や川沢に入っても「螭魅罔両(魑魅魍魎)」に出会わなくなった、という「宣公三年」の記述から。 - 病膏肓に入る(やまいこうこうにいる):
病気が重くなり、治療の手立てがなくなること。転じて、物事に度を越して熱中し、抜け出せなくなること。
晋の景公の夢に病魔が二人の子供の姿で現れ、名医から逃れるため心臓の下と横隔膜の上の間(膏肓)に隠れようと話し合い、その通り手の施しようがない状態になっていたという「成公十年」の故事から。
『春秋左氏伝』に語源の一部がある言葉
次の言葉は、『春秋左氏伝』の一節がそのまま言葉になったものではなく、同書にある表現が語の半分の由来になっているものです。
- 苛斂誅求(かれんちゅうきゅう):
税や利息などを、過酷に取り立てること。
「誅求」(責め求めること)は「襄公三十一年」の「誅求時無し」に見える言葉で、これに「苛斂」(厳しい取り立て)を重ねた言葉。










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