『後漢書』は、『漢書』に続く後漢一代の歴史書でありながら、後漢が滅んでから200年近く後に、南朝宋の時代になって編まれた書物です。
登竜門、虎穴に入らずんば虎子を得ず、老当益壮といった言葉の多くが、この書物にたどり着きます。
まず『後漢書』という書物の姿をたどり、そのうえで書物の記述から生まれた言葉24語と、語源の一部にある言葉1語をまとめました。
『後漢書』とはどんな書物か
范曄という人物、処刑された編者
范曄(398年―445年)は、後漢の滅亡から200年近くのちの南朝・宋の時代を生きた歴史家です。
当時すでに後漢を記した歴史書は七、八種類も存在していましたが、范曄はそれらを整理・再編集し、独自の史論を加えて新たな『後漢書』を著しました。
しかし完成を待たずして、皇族を担ぎ上げる謀反に連座したとして捕らえられ、処刑されてしまいます。
未完成のまま残された「志」(制度や天文などをまとめた部分)は、范曄より一世代前の晋の司馬彪が著した『続漢書』の志30巻を後から組み合わせて補われました。
皮肉なことに、范曄以前にあった七、八種類の『後漢書』はすべて失われ、この処刑された編者の著作だけが生き残り、後漢を記す正史としての地位を占めています。
紀伝体、全120巻の構成
『後漢書』は、『史記』『漢書』と同じ紀伝体を採用し、「紀」10巻・「列伝」80巻・(司馬彪による)「志」30巻の全120巻からなります。
光武帝による後漢の建国から、後漢が滅びるまでのおよそ200年間(25年―220年)を記しています。
唐代に皇族の章懐太子が詳細な注釈を加えたことで評価が定まり、以後は『後漢書』だけが後漢の正史として読み継がれることになりました。
『後漢書』に由来する故事成語24語
『後漢書』に記された人物の逸話や言葉が、そのまま日本語の言い回しになったものを集めました。
馬援という老将軍をめぐる5語
- 老いては益々壮んなるべし(おいてはますますさかんなるべし):
年を取るほど、かえって気力を盛んにすべきだということ。
老将軍・馬援が「窮すれば当に益々堅くなるべし、老いれば当に益々壮んなるべし」と語り、60歳を過ぎても自ら戦場に立ち続けたという故事から。 - 老当益壮(ろうとうえきそう):
年老いてなお、ますます意気盛んであること。
前項と同じ馬援の言葉「老いれば当に益々壮んなるべし」がそのまま四字熟語になった言い方。 - 矍鑠(かくしゃく):
年を取っても、元気で丈夫なこと。
従軍を志願した老将軍・馬援が、皇帝の前で鮮やかに馬に飛び乗ってみせ、光武帝が「矍鑠たるかな、この翁は」と感嘆した「馬援伝」の一節から。 - 馬革に屍を包む(ばかくにしかばねをつつむ):
戦場で潔く死ぬことを、武人の本望とすること。
馬援が「男児たる者、辺境の戦場で死に、馬の皮で遺体を包まれて葬られるのが本望だ」と語り、実際に軍中で生涯を閉じたという故事から。 - 守銭奴(しゅせんど):
金銭に執着し、貯め込むばかりで有効に使わない人のこと。
馬援が、財産を持ちながら人に施さない者を「ただの銭の番人(守銭虜)にすぎない」と痛烈に批判したという逸話から。
班超の西域遠征2語
- 虎穴に入らずんば虎子を得ず(こけつにいらずんばこじをえず):
危険を冒さなければ、大きな成果は得られないということ。
わずかな部下と西域へ派遣された班超が、敵に包囲された絶体絶命の中で部下を「虎の穴に入らなければ、虎の子は得られない」と叱咤激励し、夜襲で敵を破ったという故事から。 - 孤立無援(こりつむえん):
ひとりぼっちで、頼れる助けが誰もいないこと。
前項と同じ「班超伝」にある、味方から切り離され、援軍の見込みもない絶望的な戦場の様子から。
耿弇の武功2語
- 烏合の衆(うごうのしゅう):
規律も統率もなく、寄せ集めただけの集団のこと。
光武帝の功臣・耿弇が、皇帝の子孫を偽って挙兵した敵の軍勢を「烏合の衆に過ぎない、枯れ木を折るように蹴散らせる」と評した言葉から。 - 有志竟成(ゆうしきょうせい):
強い意志を持ち続ければ、いつか物事は成し遂げられるということ。
困難な敵地平定を成し遂げた耿弇を、光武帝が「志有る者は事竟に成る」と称賛した言葉から。
雷義と陳重の友情2語
- 雷陳の交わり(らいちんのまじわり):
互いに深く尊敬し合う、固い友情のこと。
陳重と雷義が、役人への推薦を互いに譲り合おうとしたという「雷義伝」の故事から。二人の名を取ってこう呼ばれる。 - 膠漆の交わり(こうしつのまじわり):
膠や漆のように、強く固い友情のこと。
前項と同じ陳重・雷義の絆を、郷里の人々が「膠漆自ら堅しと謂うも、雷と陳とに如かず」と称えた言葉から。
清廉な役人の逸話2語
- 糟糠の妻(そうこうのつま):
貧しい時代から苦楽を共にしてきた、大切な妻のこと。
光武帝から姉との再婚を持ちかけられた臣下・宋弘が、「粗末な食事(糟糠)を分け合った妻を家から追い出すことはしません」と断ったという「宋弘伝」の故事から。 - 天知る、地知る、我知る、人知る(てんしる、ちしる、われしる、ひとしる):
不正な行いは、必ず誰かに知られるものだということ。
清廉な役人・楊震が、夜中にひそかに贈り物をしようとした王密に対し、「天がこれを知り、地がこれを知り、私が知り、あなたが知っている」と拒んだ「楊震伝」の故事から。
権勢と反乱をめぐる2語
- 跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ):
権威を無視して、好き放題に横暴に振る舞うこと。
幼い皇帝が、皇帝を意のままに操っていた将軍・梁冀を「跋扈将軍なり」と評したところ、梁冀が激怒して皇帝を毒殺したという衝撃的な事件から。 - 死中に活を求める(しちゅうにかつをもとめる):
絶望的な状況でも、諦めずに活路を見出そうとすること。
光武帝の軍に追い詰められた公孫述が、武将・延岑の「男児たる者、死中に生を求むべし」という進言を受けて決死の奇襲に出たという「公孫述伝」の故事から。
人柄と姿かたちをめぐる3語
- 容貌魁偉(ようぼうかいい):
顔つきや体格が、人並み外れて立派なこと。
学者・郭太について「身長八尺、容貌魁偉」(身の丈8尺、顔つきも体格も立派だった)と記した「郭太伝」の一節から。 - 疾言厲色(しつげんれいしょく):
早口で荒々しく話し、険しい顔つきをすること。
温厚な官僚・劉寛が、どれほど急を要する事態でも「未だ嘗て疾言遽色あらず」(早口で荒々しく話したり険しい顔つきを見せたりしたことがない)と評された「劉寛伝」の一節から。もとは穏やかさを称える否定表現だった。 - 恭謙温和(きょうけんおんわ):
へりくだって人を敬い、穏やかであること。
女性の歴史家・班昭が著した『女誡』の「謙譲恭敬、先人後己」(へりくだって人を敬い、他人を先にして自分を後にする)という一節を伝える「曹世叔妻伝」から。
苦境と迷いをめぐる3語
- 刀折れ矢尽きる(かたなおれやつきる):
戦いに敗れ、さんざんな有様になること。転じて、対処する方策が尽きること。
異民族と戦い続けた将軍・段熲が、刀は折れ矢は射尽くしてもなお引かなかったという「段熲伝」の一節から。 - 五里霧中(ごりむちゅう):
物事の状況がつかめず、迷い惑うこと。
学者・張楷が道術で自分の周り五里四方に霧を発生させ、世俗の煩わしさを避けたという「張楷伝」の逸話から。 - 大器小用(たいきしょうよう):
優れた人材を、その力量にふさわしくない小さな仕事にしか用いないこと。
学者・蔡邕が人材の登用を進言する手紙の中で、「大きな鼎で小さな鶏を煮るようなもの」とたとえた「辺譲伝」の一節から。
出世と評価をめぐる3語
- 登竜門(とうりゅうもん):
そこを突破すれば、大きな成功や出世につながる関門のこと。
黄河の急流「竜門」を登り切った鯉は竜になれるという伝説になぞらえ、清廉な政治家・李膺に才能を認められることを指した「李膺伝」の記述から。 - 好逸悪労(こういつあくろう):
楽を好み、苦労を嫌う性分のこと。
名医・郭玉が、身分の高い人ほど治療が難しい理由の一つとして、安楽に慣れ苦労を嫌う「好逸悪労」の性分を挙げたという「郭玉伝」の逸話から。 - 先見の明(せんけんのめい):
将来の危機や変化を、鋭く見抜く能力のこと。
政治家・楊彪が、我が子の非凡な才能とその危うさを案じ、謀反の兆しを見抜いた先人を引き合いに「私には先見の明がなかった」と省みたという逸話から。
『後漢書』に語源の一部がある言葉
次の言葉は、『後漢書』の一節がそのまま言葉になったものではなく、同書にある表現が語の半分の由来になっているものです。
- 遅疑逡巡(ちぎしゅんじゅん):
決断すべき場面で、疑いや恐れからぐずぐずと迷うこと。
「遅疑」は『後漢書』に、軍勢が疑いを抱いて進み出ようとしない様子として見える。「逡巡」は、恐れて進軍をためらう意味で使われた別の語。


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